買い物袋を提げながら、帰路を取る。 中々に激しい雨は歩くたびに水をはねさせたけど、 この雨の音が全てを閉じ込めたような空間を、私は嫌いではない。 世界にいるのが私たった一人のような、そんな感覚に陥らせる。 (実際はそんなことはないのだけれど。) その感覚を楽しみながら歩いていると、ふと、呼ばれた気がして立ち止まった。 あたりを見回してみたが、誰もいない。 だが、呼ばれている。 なぜだか分からないが、そう強く確信した。 どこだろう? どこから私を呼んでいるのだろう? 何となく、手を引かれている気がして、目の前の交差点を右に曲がった。 それから、すぐに左に曲がり、少し歩いた先の右路地。 そこに、私の求めていた答えはあった。 狭い路地に、人が倒れている。 その人は、少々泥で汚れていたものの、この暗い空の下で、 瞬くような金の髪を持っていた。 呆然としたのは、一瞬。 それからすぐにしゃがみこみ、声をかけてみた。 「……もし」 だが、反応は無い。 身じろぎ一つしない。 無礼を承知でそっと喉に手を当ててみたが、息はしている。 息倒れだろうか。 手の当てた喉は随分冷たい。 一体、どれくらいここで雨に当たっていたのだろう。 とにもかくにも、見つけた以上、ここに放っておくわけにも行かない。 幸い、ここから私の家はそう離れていない。 警察や病院に連れて行くより、その方が早いだろう。 決断してしまえば、あとは実行するのみ。 買い物袋の口をしっかりと閉め、腕にかけ、倒れていたその人を担ぎ上げた。 案外軽い。 これなら、私でも支えながら家に帰ることは可能だろう。 着物が汚れてしまうが、この際しょうがない。 帰ったら洗えばよい話だ。 なるべく負担をかけないように体勢を整える。 そうして持ち上がった顔は、端整な作りをしていた。 男性のようだ。 少し年下、くらいだろうか。 よっこらせと掛け声をかけつつ、彼を支えて歩き始めた。 家についたら、まずは一度彼を玄関に下ろし、タオルを何枚か取りに行った。 自分を拭き、彼の水分も粗方取る。 それからもう一度彼をかつぎあげて、客間まで連れて行く。 硬くて申し訳ないとは思うが、一度床に寝かせて、客用の布団を、押入れから取り出す。 それを広げ、整える。 それから、濡れた服のままではいけないと思い、 これも非常に申し訳ないが、服を脱がさせて貰った。 着替えは、私のものでは小さすぎるので、別部屋においてある、兄の物を取りに行く。 兄さん、あなたのものを他の人にお貸ししますが、許してくださいね。 心の中だけでそう呟き、手早く彼に着せる。 それからもう一度だけ腕に力を入れ彼を担ぎ上げ、今度こそ布団に横たえた。 そうしてかけ布団をかける。 ここまでやっているのに、彼は全く起きる気配がない。 相当深い眠りについているのだろうか。 彼の額に手をやってみたが、自分の手も冷え切っているため、いまいち感覚が分からない。 ひとまずは自分も着替えないと風邪を引いてしまうと、急いで自室に戻って、 手早く着替えた。 それから湯たんぽを持って彼の元に戻る。 そこでようやく熱を測ってみたが、やはり熱があるようだ。 湯たんぽを彼の腰の辺りにもぐりこませる。 それから桶に水を入れ、それに漬けた後絞った手ぬぐいを、彼の額に置いた。 それが終わったら今度、濡れたまま半ば放置だった、私と彼の服を洗濯機の方に持っていく。 私のものはこれでよいが、彼のものはなかなかに高級品のようだ。 洗濯機などで洗ってはいけないかもしれない。 明日辺り、クリーニングに出させて貰おう。 ひとまず乾かすために彼の服はそこに干し、 私の服は使用済みのタオルらと共に洗濯機に入れて、回した。 そこで彼の様子を見に行ってみると、どうやら目覚めたようだ。 ゆるりと、だるそうに首を動かしている。 「おや、お目覚めですか」 思わず声をもらしてしまってから、私としたことが水差しを忘れていたことに気付いた。 病人の喉を乾かすのは良くない。 慌てて台所に戻り水差しを持って戻ってくる。 それから目覚めた彼の隣にゆっくり腰を下ろした。 彼の瞳がまっすぐに私を見ている。 ああ、何と言う色だろう。 ただの緑では言い表せないような深い色が、そこに覗いていた。 しばし呆けてから、慌てて彼の額から落ちていた手ぬぐいを取り上げる。 首を動かした時に落ちてしまったのだろう。 結構な熱がこもっている。 なかなかに高い熱があるようだ。 水桶に漬け、冷やしてから、絞って、再び乗せる。 それから、彼が何かを話そうとしたのか、小さく口を開けた。 「……ぁ……」 しかしそこから漏れたのは嗚咽のみで、言葉にはなっていなかった。 喉が渇いているのだ、無理に話さない方がいい。 「無理して声を出さないでください。……体、起こせそうですか?」 なるべく刺激を与えないように尋ねたら、彼が頷いたので、体を起こすのを手伝った。 それから、水差しからコップに水を入れ、控えめに差し出す。 「飲めそうでしたら……」 出来れば飲んだほうが良いが、無理をして飲むのも良くないだろう。 しかし私の心配に反して、彼はそのコップを受け取り、ゆっくりと、水を飲み干した。 ほうっと、ため息が漏れる。 どうやら、少しは喉が潤ったようだ。 そのせいか、彼が小さく口を開き、声を発した。 「……ここ、は?」 外見を裏切らない、まるで鈴のような響き。 男性の方の低音にそう評するのは失礼だろうか。 小さな笑いを喉の奥に隠し、彼の質問に答える。 「ここは私の家です。雨の中で倒れていた貴方を拾い、看病のために運び込ませていただきました」 ひとまずはこれでいいだろう。 彼は休息を取るべきだ。 空になったコップを受け取り、再び彼を横にする。 「まずは、お休み下さい。話はそれからに致しましょう」 彼は特に抵抗無く横になったが、まだ何か聞きたいことがあるらしい、もう一度口を開いた。 「……おま、えの……なは……?」 彼の口から紡がれたのは、私の名を尋ねる言葉。 ……なぜだろう、それを酷く嬉しく思ったのは。 やや佇まいを正し、私の名を継げるために、口を開く。 「本田菊と申します」 あなたの名前は何て仰るのでしょうか。 ……目が覚めたら、お聞かせ下さい。 雨の中で、君の声を聞いた気がした (それはそれは、透き通った鈴の音色のような)