これは、夢である――はずだと、少年は思った。 今、少年の前に広がる景色は、真っ白な銀世界。 その点は、眠る前と変わりは無い。 だが、少年には確かに、姉妹たちと共に眠りについた記憶があった。 姉妹は眠っている少年を一人で放り出すような人たちではなく、 眠っている間に何かが起ころうとしたならば、 おそらく気付けるだろうと、少年は自負していた。 ならばこれは、眠った先の夢だろうと。 そう、結論づけたところで、少年はつまらなさそうに足元の雪を蹴り上げる。 起きてもどうせ雪景色なのだから、 夢ぐらいは暖かな場所にいさせてくれてもいいのではないかと、思ったのだ。 「……さむいなあ」 呟かれた言葉は、白い息となって霧散していく。 夢だというのに、やたら現実感があった。 吹いた寒波に少年はぶるりと身を震わせ、体を抱きこんだ。 寝ても覚めても景色が変わらないのならば、姉妹たちのいる現実の方がまだ良い。 早く夢が覚めないかと、少年がぼやいた時だった。 “変化”は、突然、起こった。 言葉にし難い衝撃のようなものが、少年の体を突き抜けていったのだ。 「!?」 少年が驚いてあたりを見回すと、今まで、雪景色しかなかった視界に―― 突然、花畑が現れていた。 それも、酷く唐突で、まるで線を引いたかのように、 雪の景色と、花畑とがくっきり分かれている。 そのおかしい現象に、恐る恐る少年は近づいてみた。 「ぼくのねがい……かなったのかな」 夢でぐらい暖かい場所にいたいと願ったのは、少年自身だ。 夢なのだから、自分の想像通りのことが起きるのは、まあ不思議なことではない。 少年は、恐る恐る、雪と花の境界線に近づく。 雪側から花に手を伸ばしてみようと思った時、 何かに突き飛ばされたように、少年は前方につんのめった。 「、わ!」 バランスを保つことが出来ず、少年はそのまま倒れこむ。 もふりと、草花が少年を受け止めてくれたので、痛いという認識はなかった。 代わりに、また唐突に、少年の周りの環境が変化した。 今まで零下とも言える寒さだったのに、急に暖かくなった。 そう、花も、咲いていられるほどの。 「!?」 少年が倒れこんだまま驚いていると、風にのって、小さな笑い声が、届いた。 「おやおや」 耳に馴染みの無いその声に、少年は慌てて顔を上げる。 視界には、いっぱいの花畑と、大きな湖、それから青空。 そして、湖のほとりに。 「これはまた、随分と小さなお客さんですね」 見たことのない、青年が、一人。 少年は体を起こし、青年を見つめた。 青年の容姿は、あまり見かけない黒髪に黒目、 そして何より、少年が見たことのない顔立ちと肌の色をしていた。 独特の衣装を身に纏っていることからも、分かる。 異民族だ、と少年は認識し、思わず身がすくんだ。 そんな少年の様子に、青年はくつくつと笑う。 「そう身構えなくとも、何もしませんよ。小さなお客さん」 青年の笑う様子には、悪意のようなものは感じられない。 ほんの少し安心しながらも、少年は用心深く尋ねた。 「きみは、だれ?」 「ここでは、まだ真名を名乗るわけには行きませんね。聞きとがめられてしまいます」 青年の言葉は、少年にはよく分からないものだった。 少年が首を傾げると、青年はまた笑う。 「それでは、私について、一つお教えしましょうか。 ……私は、あなたと同じ存在(もの)ですよ」 その言葉には、少年もピンと来るものがあった。 “自分”と“同じ”“存在”。 その言葉が意味する“もの”は、たった一つだ。 人の集団を象徴するもの、集まりそのものの体現、土地と人を内包する存在。 “国”、だ。 少年は、自分と同じ“国”を、姉妹と支配国でしか見知ったことが無い。 初めて見た見知らぬ国に興味が沸いて、少年は改めて青年を見やる。 窺うように見つめてくる少年に、青年は軽く手招きをした。 「こちらにいらっしゃい。 せっかくこうして夢の中でお会い出来たのですから、お話しましょう」 青年の笑顔は穏やかだ。 かといって油断はできないが――しばし悩んだ結果、少年は青年に近づいた。 見知らぬ国への不安も多少はあったが、それに興味が勝った。 青年の発した言葉が、気になったというのもある。 「ここは……やっぱりゆめのなかなの?どうして、ぼくたちはおはなしできるの?」 そろり、そろりと近づきながら、少年は尋ねる。 その問いに、青年はふむ、と唸った。 答えに窮しているというよりは、言葉を選んでいるようであった。 「私とあなたの国は、おそらくとても離れています。 でも、私たちが眠りについて、“夢”の中にいる時は、 どんなに遠い人でも、出会える可能性があるんですよ」 青年はなるべく噛み砕いた説明を試みたようだが、 少年にはいまいち意味を汲み取ることが出来なかった。 そのことに青年も気付き、苦笑しながら補足した。 「ひと時で終わってしまう、泡沫の“夢”だから、会えたのです。 それだけ分かっていれば十分ですよ」 「そう……なんだ?」 少年はなんだか丸め込まれたような気がしたが、 ひとまず自分の質問への回答は得られたので、それで良しとした。 それから、落ち込むように軽く俯く。 「それじゃ、めがさめたらあえないんだ……せっかくあえたのに」 口に出すと、理解したことが改めて実感できてきて、少年は涙ぐんだ。 少年の国は、年の大半を雪に閉ざされている。 近隣に国は多くない上に、支配されている身の上なので、遠くに行くことが出来ない。 必然、会うことが出来る国は限られてくる。 原理や理由は分からないものの、折角会えた同胞とすぐに別れなくてはならないことに、 少年はとても悲しくなった。 ぽろぽろ、涙があふれてくる。 「もう、泣くんじゃありませんよ。あなたもおそらく十数年は生きているでしょう?」 青年は手を伸ばし、隣に立つ少年の涙を拭ってやる。 「でも、もうあえないなんて……かなしいよ」 ますます涙を溢れさせる少年に、青年は困ったような顔をする。 「二度と会えないわけではありませんよ。 お互いに国として生き続けていたならば…… いつか現世でも会い見えることもあるでしょう」 「でも……」 青年の言っていることは分かる。 だが、少年はなぜか悲しくて仕方が無かった。 涙が止まらない。 泣き続ける少年を見て、青年は観念したようにため息をついた。 「仕方ありませんね、少年、少々大人しくしていてください」 その意味を少年が理解する前に、青年は少年の額に手を伸ばした。 何故だか額が温かい、と少年が思った時、青年は何事かを呟いていた。 『―――――――』 それは、今まで二人が無意識の内に交わしていた国言語ではなく、 青年の国の言葉のようだった。 だから少年にはその言葉の意味が分からず、きょとりと目を丸くした。 数秒して、青年が少年の額から手を離す。 「ふう。これで、またいずれ夢の中で会うことが出来るでしょう」 汗を拭うように、青年は袖で自らの額を覆う。 「……え、え?」 「本当はあまり良くないのですけれどね。まあ、たまにはいいでしょう」 今の青年の行為の意味が分からず、目を瞬かせる少年に、青年は笑いかけた。 「今、あなたにおまじないをかけました。 いつか……いつになるかは、時運なので何とも言えませんが、 いつか必ず、また夢の中で会えますよ」 ゆっくり、青年の言葉を租借した少年は、涙顔から一転、顔を輝かせた。 「ほんと!?」 「ええ」 青年が頷いて肯定してやると、少年は飛び上がらんばかりに喜んだ。 「うれしいっ」 その様子を見ながら、青年はやれやれと肩を竦める。 その時、ぐらりと――世界が歪んだ。 互いから見ての互いの姿が、霞む。 「……ああ、時間ですね」 青年はぽんと手を叩く。 少しだけ不安そうな顔をした少年に、青年は安心させるように微笑んでやった。 「夢が終わるんです。此度はこれでお別れですね。 ……ですが、安心なさい。また、必ず会えますから」 青年の言葉に、少年はこぼれそうになった言葉を留め、口を引き結ぶ。 「うん、ぼく、まってるから……また、あえるひを」 自分に言い聞かせるような少年に、青年もまた、頷いてやる。 「ええ、お待ちしています」 その言葉が最後だった。 視界が真っ白になり、少年が気付いた時には、再び辺りは真っ白の銀世界に戻っていた。 少年は呆然としていたが、すぐに吹きすさぶ寒波に身を竦ませる。 それでも、青年に触れられた額は、まだ温かかった気がした。 「……まってる」 額の熱を逃がさないように、少年はうずくまり、ぽつりと呟いた。 辺りに響いたのは、風の音だけ。