歪められた約束の先で


イオンに拾われ早5年。

鍛錬やらなんやらしているうちに、“その時”が来てしまった。

正確には、俺はオリジナルイオンが亡くなった日を知らないから、その年、だ。

ちょっと人をからかうのが好きなやつだが、それでもオリジナルイオンも大事な友達になっていた。


“その時”は、意外と早くきた。

イオンが、いなくなったのだ。

正確には、俺の前に現れなくなった。

原因は明白だ。

オリジナルイオンがレプリカイオンに入れ替わることが誰にも知られないように、

イオンは隔離されているに違いない。

つまり、イオンの死期が近い。

「ちっくしょ…どこにいるんだよ、イオン…!」

俺はどこかに隔離されているイオンを探している。

もちろん、俺の存在は公にされていないから、見つからないように、だ。

隠れながら、大分下層まで降りたのだが、一体どこにいるのか。


どこかで、アリエッタの泣き声を聞いた気がした。


もう幾つ目になるか分からない、ドアを開けた。

「イオン!」

「…アッシュ、ですか…来ると思っていましたよ…」

ベッドに横たわるイオンは、もう息も切れ切れだった。

「イオン、どうして…どうして!」

「すいませんね…僕は…誰にもこのことを、言わないように言われていたから…。

言うわけにはいきませんでした…けれど、あなたなら…見つけてくれると信じていました…」

意味が、分からなかった。

イオンは、一体何を望んでいる?

「どういう…ことだ?」

「あなたに、アリエッタを託したかったんです」

一瞬、息が、止まった。

「僕は…死期を、悟っていました。死ぬ覚悟、もあります。

ですが…唯一の心残りは…大好きなアリエッタ…なんです」

「アリエッタを思うなら、生きて見せろよ!預言がなんだ!そんなもの、いくらでも変えられる!」

だって、未来では、変わった。

人は預言に頼らずとも生きる道を選ぶことができる。

死の預言だって、きっと変えることができる。

俺だって、預言で死ぬといわれたところで、いつも生き残れた。

消えたのは、預言にも読まれていない…ローレライの解放でだ。

預言は、絶対じゃない。

それを知っているからこそ、今、ここにいる。

何とかしようと、訓練して身に着けた治癒術を唱えようとしたが、イオンの言葉に手を止めた。

「違います…僕は、預言で死ぬんじゃない」

え?

「預言で死ぬというなら…僕は、もうとっくに…死んでいます」

どういうことだ?

「僕は、本当は…十二歳の生誕日さえ迎えられない、と…預言に、詠まれていました。

でも、そんなこと…納得できなかったんです。

何かに、僕の一生なんて決めさせたく、ない……僕だって、生きたかったんです」

それは、誰よりも預言に近い人間の、預言を否定する言葉。

あのイオンと同じで違う、イオンの意志だった。

「調べて、調べて…それでも僕は、自由に生きることを許されていなかった…。

僕は…生まれつき死期が決まっていた…持病で、どうせそう、長くは生きられない体だったんです…。

だから、僕に治癒術を施そうとしても…無意味ですよ」

治癒術を発動させようとした手を、止めた。

治癒術は、怪我を治すことは出来ても、病を治すことはできない。

「それでも…僕は生きたかった…生きたんです。そして僕は、預言を、覆すことができた…」

イオンが力なく笑う。

「やっぱり、預言なんて…人間の意思には適わない、くだらないもの、なんです…。

そして、それを知って僕が満足…したとき、もう、僕に…時間はなかった」

一度、大きくイオンが咳き込む。

慌てて寄ったが、大丈夫だと目で制せられた。

「けれど、知って、死は怖くなくなりました…きっと、彼女の、預言も…変わることが…できるから」

彼女、きっとそれはアリエッタのことだ。

もしかしたら、アリエッタも死の預言が詠まれていたのかもしれない。

きっとそれは、過去であり未来であるあの時とは、違う道で。

イオンは、アリエッタが生きることを望んでいる。

でも、いつか自分が死ぬことを知っていたなら。

アリエッタを置いて逝くことが分かっていたのなら。

「じゃあ…なんで今までアリエッタを大事にしてきて…いまさら突き放した?」

モースやヴァン師匠といえども、導師に無断で導師守護役を決めるはずがない。

なら、アリエッタをそばに置き続けたのは、イオンの意思だ。

なぜ、死期が分かっているのに、そんなことをした?

残された者の辛さなら、イオンにだって分かるはずだ。

「僕は…どうせ死ぬなら、と…あまり人と関わらずに生きてきました…。

生まれてすぐに…預言に従って僕を手放した…両親の顔さえ知りません。けれど…あの子だけは…」

イオンの言葉が、一度切れた。

「ヴァンに連れられて…導師守護役になった、アリエッタだけは…

同じように流すことができなかった…。

純粋で、まっすぐで…いつも周りの心無い言葉に傷ついていた優しいアリエッタ…。

僕は…あの子を大事に思うようになってしまった…もうすぐ尽きてしまう命…だというのに…!」

イオンは、顔を手で覆って、ゆっくりと息を吐いた。

「正直、焦りました…アリエッタは僕を慕ってくれている…

このまま僕が死んだら、アリエッタはどうなってしまうのかと…。

僕の死期を知らせることも出来ず、今さらただ突き放すこともできず…悩んでいる最中…」

「俺を、拾ったわけか…」

アリエッタを、託せるだけの人間を。

最初は、本当にただの気分だったのかもしれない。

でも、死がさらに間近に迫ってきて、アリエッタのことがひたすら心配で。

そして、俺に託すことを見出したのか。

死を目の前にしながら、この五年間、イオンはどんな思いで俺を見ていたのだろう。

「…自分勝手だと罵ってもらっても構いません…でも、どうかアリエッタだけは…」

罵ることは、できなかった。

あの時、俺も同じ事をした。

紫色の空と、空ろな瞳がフラッシュバックする。

仲間が、心から俺の消滅を惜しんでくれていることは分かっていた。

でも俺は、我侭を押し通して、レムの塔で瘴気中和をした。

ただ、仲間に、みんなに、大事な人たちに、生きて欲しかっただけ。

結果的にあの時は生き残ることが出来たけれど…その後の、仲間達の言葉を、忘れることはできない。

『生きていてくれて、良かった…!』

俺が生きていることを望んでくれる人ができた。

俺が死ぬことを悲しんでくれる誰かができた。

とてもとても嬉しかった。

だから、ローレライの解放に向かう時の“嘘の”約束も…とても辛かった。

帰ってこられないことが分かっていたから、帰ってくるという約束が辛かった。

けれど、約束は歪み、過去を巻き戻し、約束が交わされる前の時間に…今、俺はいる。

まだ、何も始まってない。

そう、まだ何も始まってないんだ。

まだ…何かを変えられるはず、なんだ。

だって俺は、変えるために戻ってきた。

あの時たくさん見た、悲しいことだって、きっと変えていくことができるはず。

だから。

「俺に、頼るな…」

「アッシュ…?」

俺の言葉に、イオンが訝しげに顔をゆがめた。

「お前の死を知らされず、残されるアリエッタはどうなる…一生お前の影を追わせ続けるのか?」

「…それでも…生きていて…欲しいんです」

「確かに、生き延びはするかもしれない…でも、その心はどうなる?

大切な人に捨てられたと思わせたまま、喪失の人生を生きさせるつもりか」

「っ!」

イオンが、息をのんだ。

これは俺の自己満足かもしれない。

だけど、どうか。

レプリカのフェレス島で、寂しく泣いていたアリエッタ。

チーグルの森で、何も知らされないまま死んだアリエッタ。

最期まで、イオンと、ライガクイーンに謝っていた優しいあの子を。

「俺じゃ、アリエッタの命は救えても、心を救うことはできない。

救うことが出来るのは、お前だけなんだよ、イオン!」

死なせたく、ないんだ。

声を荒げていたのに気づき、、慌てて息を潜める。

あたりを探るが、誰かがくる気配はない。

とりあえず安堵して、一息つくと、イオンの声がした。

「アッシュ…お願いがあります」

「…イオン?」

「アリエッタを、ここに…連れてきて下さい」

「イオン!」

思わず声を上げる。

よくわからない思いが、体を駆け巡る。

「早く…お願い、します」

「待ってろ!絶対に…それまで死ぬんじゃないぞ!」

そう言って、すぐに駆け出した。

アリエッタを探すために。


イオンの、泣き声を聞いた気がした。


歪められた約束の先で
(一つでも多く、救えるものがあるならば)