のこされた音


来た道を引き返して走った。

さっきどこかでアリエッタの泣き声を聞いた気がするから、そうは遠くないはずだ。

おそらくアリエッタもイオンを探しているのだろう。

「イオン様……イオン様、どこですか……」

声が、した。

「アリエッタ!」

壁にすがりついて、ただただ泣いていた。

「アッシュ、アッシュぅ……イオン様、どこですか……イオン様、アリエッタを嫌いになっちゃったですか……?」

泣きじゃくるアリエッタを抱えあげて、背中をさすった。

「……アリエッタ、イオンが呼んでいる。静かにして」

「!」

すぐに泣き声が止んだ。

アリエッタが体を起こして俺を見る。

「ちょっと厄介な場所で、お前の友達たちは連れて行けないんだ。ここで待っていてくれるよう頼んでくれるか?」

「……はい、です。みんな、聞いて」

アリエッタは俺に抱え上げられたまま、魔物たちに語りかけた。

しばらく(たぶん)会話していたが、やがてアリエッタが顔を上げた。

「アッシュ、大丈夫です。みんな、ここで待っていてくれるです」

「ありがとう、みんな。必ず戻ってくるから……」

魔物たちに礼を言って、アリエッタを抱えたまま走り直した。


「こんだけ、走ると、さすがにちょっときついな……」

教会を走り回ること計5時間。

さすがに疲れた。

「アッシュ、大丈夫ですか?」

「ああ。もうすぐだ。もうちょっと静かにしててくれな」

ここは本来なら六神将でさえ立ち入りを許可されていない。

見つかれば確実に追い出される。

そうなるわけには行かなかった。

幸い、アリエッタは耳がよく、何回か見回りの兵の接近を教えてくれたので、さっきより早く行けた。

周りに誰もいないことを確認して、扉を開ける。

「イオン、まだ無事か?」

イオンは、息絶え絶えで顔をこちらへ倒した。

「アッシュ……ああ、アリエッタ……」

イオンがのろのろと、アリエッタに手を向けた。

「イオン様!?」

アリエッタが駆け寄って、イオンの手をつかむ。

「……礼を言います、アッシュ……」

「俺のことはいい。せっかく連れて来たんだ。……伝えてやってくれ」

イオンはわずかに頷いた。

「俺はここで、音を遮断してるから」

ドアの方へ向いて、第三音素を操るべく静かに詠唱を唱える。

風を散らせば、よほどの大音でない限りは外に漏れないだろう。

少しだけ間を空けて、イオンが切り出した。

「アリエッタ……すみません……僕は、もうすぐ死にます」

「イオン様が、死んじゃう?アリエッタ、そんなのヤダ!イオン様、死なないで!」

アリエッタの声が涙声になった。

「これは……決まっていたことなんです……僕の寿命は……始めからそれほど…持たなかった。

十二年も……生きれたことすら、奇跡のようで……」

「嫌、いや! アリエッタ、イヤ!」

アリエッタはひたすらイオンにしがみついて否定している。

「アリエッタ」

呼ぶと、肩がびくりと震えた。

「イオンの言葉、聞いてやってくれ」

俺には、そういうことしか、できないのだけれど。

イオンが、さいごにのこす言葉を、どうか。

アリエッタの泣き声が少し小さくなった。

「……僕は、十二を待つ前に死ぬ、という……預言を、覆しました……。

アリエッタ、預言なんて……大したものじゃないんです……だから、君も……きっと、生きられる……」

アリエッタは、自分の死の預言を知っていたのか?

じゃあ、まさか、あの時。

背に、何か冷たいものが走った気がした。

「大好きです、アリエッタ……君に会えた……だけで、僕は少しでも、長く……生きてよかったと、思えます……」

「アリエッタも、イオン様大好きです!だから、だから……」

アリエッタが再び涙声になった。

「死なないで、ください……」

「その言葉……だけで、僕は本当に幸せです……」

俺は、多分、その時のイオンの声を忘れない。

「僕の大好きなアリエッタ……君は、僕の分まで、生きて……下さい……そして、どうか、幸せ、に……」

「…っ!」

アリエッタは涙のあまり、声が出なくなったのだろうか。

声の代わりに、嗚咽だけが響く。

「アッシュ……後は、頼みます……」

言葉が、俺に向けられた。

少しだけ振り向くと、もう顔が土気色になったイオンの顔。

まだ、生きているはずのイオンの顔。

でも確かに、その隣には絶対の終わりがある。

言うことが見つからなくて、頭が真っ白になって。

「……ああ」

それしか、いえなかった。

「アリエッタ……愛しいアリエッタ……僕の……アリエッ……タ……」


呼吸音が、二つになった。

「イオン様ぁぁぁぁ!!」

アリエッタが堰をきったように泣き出す。

もう一度振り向いたそこには、もうイオンはいなかった。

ただ、とても安らかな顔をした、体が一つ。


アリエッタが泣きつかれて眠るのを待って、譜術を解いた。

そこにはイオンの遺体と、顔をぐしゃぐしゃにして眠るアリエッタ。

ベッドについた涙の跡は、譜術で乾かした。

イオンの遺体には影響が出ないよう出力を調整して。

それから、そっとイオンに顔を近づけて。

「さようなら、イオン……」

どうか、優しい夢を。

それだけ言って、アリエッタを抱えて部屋を出た。


この状態のアリエッタを見たら、魔物たちは怒るかもしれない。

その辺りで騒ぎ立てるわけにはいかなかったから、とりあえずアリエッタの部屋に戻った。

ベッドにアリエッタを横たえてから、窓に向かって小声で呼ぶ。

「フラーメ」

すると、耳のいい俺の相棒は、するりと飛んできてくれた。

「フラーメ、アリエッタの魔物たちを呼んで来てくれ。下層の方にいるから。静かにな」

それだけいうと、フラーメは頷いて飛び去った。

本当に賢い相棒を見つけたと思う。


案の定、目をはらして眠るアリエッタを見た魔物が吠え立てた。

襲い掛かってこなかったのは、5年の時間のおかげか。

静かにしてほしいと宥めて、一言、告げた。

「……イオンが死んだんだ」

それだけで、大体の事情は察してくれたらしい。

もうほえることなく、静かにアリエッタに寄り添った。

「ありがとう。それから、アリエッタに伝言を頼みたいんだ。いいか?」

聞くと、ちょっと不本意そうな顔をしたが、頷いてくれた。

「イオンの遺言を忘れないようにって。それから……」

おそらく、アリエッタがイオンの死を知っていることを知ったら、モースが何らかの手を打ってくる。

俺は当分手が放せないだろうから、その間の守りは魔物たちに任せることになる。

もし、魔物たちにも何かあったら……。

俺は一回首を振って、続けた。

「イオンの死を誰にも教えないようにって。イオンの死を隠したい連中がいるんだ。

そいつらにアリエッタのことが気づかれたら、アリエッタが危ないかもしれないんだ。

俺は当分ここには戻ってこれないから……アリエッタを守ってやれない。だから……」

魔物が一吠えした。

「?」

俺が首をかしげると、魔物はアリエッタの部屋にあった本を取り出して、指差しはじめた。

それはアリエッタのためにイオンが与えた言葉の本だ。

「ど、こ、へ、ゆ、く?」

魔物たちが指した言葉を読むと、魔物たちが小さく頷いた。

「……場所は、言えない。何をしにいくかと言うなら……俺の仲間を、助けに、かな」

そういうと、また魔物たちは指さし始めた。

「か、な、ら、ず、も、ど、つ、て、こ、い、あ、り、え、つ、た、が、か、な、し、む……」

少しだけ驚いて、そして少しだけ笑って続けた。

「必ず帰るよ。それまで……アリエッタをよろしく頼む」

そういうと、魔物たちはまた一吠えした。

たぶん、了承の意だろう。

一度礼をしてから、俺はフラーメをつれてアリエッタの部屋を出た。


まだ、助けられる命が、ある。


のこされた音
(もう、誰も死なせたくない)