大切という名の足枷


仕事がとりあえずひと段落ついて、休憩にと部屋を出れば、その足は屋上に向かった。

とてもよく晴れていて、青空がよく見える。

“青”という色を認識できて、少しだけ嬉しくなった。

(そう、空は青いんだ)

あの時、昔とも未来ともいえない記憶の中で、確かに自分は青くない空を見た。

その時まだ瘴気は表に出ていなかったから、本当なら空は青かったはずだ。

でも、自分が見た空は。


“紅”。


自分が殺してしまった人達の色で染まっていた。

それはほんの一瞬。崩落していく大地の中で見えたもの。

その後に思い出せるのは、魔界の空と、液状化した大地に浮かんでいる瓦礫。

喚いて、叱られて、叫んで、見放されて、

気がつけば自分はアッシュ(今はルークと名乗れているはず)の中から、青に戻っていた空を見た。

自分の体に戻った後、ティアとユリアロードを通り、

ガイと再会して、自分の目で見た空も、やっぱり青だった。

だから、崩落の時に見た色は幻だと思った。

けれど、その後、もう一度紅の空を見て、やっぱり紅い空はあるんだと思った。

それは―――。

「アッシュ!」

耳慣れた声がして、思考を止め、笑顔を顔にはりつけて振り返った。

「なんだ、シンク、アリエッタ。そんなに息を切らして」

どこで誰が聞いているか分からないから、セプの名前は呼べない。

「アンタがこんなところにいるから、こっちは探す羽目になったんだよ!」

ああ、探させるほど自分はここにいたのかと、改めて思う。

軽く笑いながら、セプ達の元へ向かうと、アリエッタが不思議そうに尋ねてきた。

「そういえばアッシュ、どうして屋上にいたですか?」

「空を、見ていた」

「空ぁ?そんなもの見て、何が楽しいのさ」

自分はごく真面目に答えたのだが、からかわれたと取ったのか、セプは不満げに尋ね返してきた。

その様子がなんだかおかしくて、顔を動かさずに指を空へ向ける。

その動きにつられて、セプとアリエッタも空を見上げた。

「で、空が、何?」

顔を戻して、何も無いじゃない、とばかりにセプが問い返したので、さっきと同じ顔のまま、答えた。

「青いだろ?」

「空はいつも青いだろ」

セプはそう、そっけなく返した。

そう、空は青い。

紅の空を見た後だからこそ、その青さがよく分かる。

ならなぜ、あの時空は紅かったのか。

「心の持ちようだ。青いと思えば青いし、青くないと思えば青く見えない」

「何それ、空が青く見えないなんて時、あるの?」

そう言って、もう一度空を見上げたセプは、とても幼く感じた。

(当たり前だ。彼はまだたったの二歳なのだから)

ああ、この子はまだ空が紅に染まったのを見たことがないのだ。

酷く安心した。

さっきから空を見上げたまま疑問符を浮かべているアリエッタも、きっと同じなのだろう。

紅の空など、本当なら見えない方がいいのだ。

出来ることなら、そのままであってほしいと思う。

そして、自分も。

「まだ、空が青いと思えて、良かった」

そう言って、もう一度空を見上げて、今度は本当に笑った。

今だけでも、青い空を見上げていたい。

そんなことを思っていたら、いつの間にか顔を戻していたセプが、

また不機嫌そう――というよりは、困ったように、だったかもしれない――に訊いて来た。

「ねえ、もうちょっと分かりやすく言ってくれない?

いつだってアンタはそうやってはぐらかすじゃない」

どうして、そんな顔をするのさ、と言外に告げられている気がした。

自分は普通に笑っていたつもりだったのだが。

だけどそれは、セプがまだ純粋である証拠だから、これ以上分かりやすく言うことも出来なくて。

(だってそれは全てを告げることを意味している)

ただ、一つ、苦笑を返した。

案の定セプは納得できなかったようで、声を出しかけたが、

ずっと空を見上げたままだったアリエッタによってさえぎられた。

「アリエッタ、よく分からないです」

アリエッタの年は本来自分より上のはずだが、こうして見るとどうしても年下に見える。

ザレッホ火山で助けたセプも、イオンに託されたアリエッタも、弟妹みたいなものだ。

大事な弟妹達の問いに答えるため、俺は口を開いた。

「分からなくていいんだよ、シンク、アリエッタ。」

分からなくていい。

お前達はそのままでいてくれ。

お前達にあんな思いはさせたくないんだ。

たとえ、それが俺の自己満足であったとしても。

俺の言葉に、セプは丸め込まれた子どものような顔をしている。

(仮面をしているから、正確にはそんな気がする、だが)

これ以上聞いてもムダだと思ったのか、セプは追求をやめた。

礼と謝罪の意味をこめて、ただ一言、ごめんと告げる。

そして、首をかしげているアリエッタに、問いかけた。

「それで、何で俺を探してたんだ?」

その言葉にようやく本来の目的を思い出したのか、

アリエッタはリグレットが呼んでいるという用件を伝えてきた。

セプは黙って手紙を俺に突き出す。

手紙はルミナからのもので、その手紙は、“来るべき日”が近いことを示していた。

そろそろ、心構えをしておいた方がいい。

「ルミナから、か…。ありがとう、シンク。

リグレットのところにもすぐ行くよ。ありがとう、アリエッタ」

頭をなでると、アリエッタは嬉しそうな顔をして笑った。

シンクは、もう一度空を見て俺の言ったことを考えているようだ。


どうか、このまま青い空だけを見ていてくれ。


大切という名の足枷
(俺が甘いということは分かってる。その上での我侭だった)