はじめてのひと


「大変だ、ルーク様が連れ去られた!」

「何者だ、今の女は!」

「兵士は何をやっていた!」

屋敷は騒然となっていた。

当たり前だろう。

公爵さまの一人息子、ルーク様がさらわれてしまったのだから。

ぎゅっと、さっき僕宛に届いた手紙を握り締める。

それはあの人からの、手紙。


「私は国王へ報告し、対策を立てねばならない。ガイ・セシル、ヴィン。

お前達は先行し、ルークを探しに行け」

「拝命、承りました」

「同じく」

公爵様の命を受けて、僕とガイさんはバチカルを旅立つことになった。

宛がわれた部屋で出発の準備をしていると、こんこん、と部屋をノックされた。

「どうぞ」

入室を促すと、部屋に入ってきたのはガイさんだった。

「ヴィン、情報に一つ追加。ヴァン謡将もルークを捜索してくれるらしい。

自分はカイツール方面を見に行くから、ケセドニア方面を見に来て欲しいとのことだ。

砂漠越えの準備しとけ」

「分かりました」

砂漠越えなら、砂避けのマントとか、大きめの水筒とかいるなあ。

確かどっかにあったはず、と荷物を漁った。

「なあ、お前は旅に慣れてるのか」

ちょこん、とまとめられた僕の荷物を見て、ガイさんが言った。

「慣れてる、という領域までは行きませんが……

ダアトからバチカルまで来たので、それなりには、と思ってます」

そういえば、旅券を使わなくていいように、ケセドニアを抜けた後、

砂漠でサンドワームに追いかけられたっけなあ。

あの時は本当にアッシュに感謝した。

鍛えられていなければ、確実に死んでた。

僕が旅で苦労したと思ったのだろうか。

ガイさんはホッとしたようながっかりしたような微妙な顔で、笑った。

「なら、お前は心配ないかな。じゃ、門のところで集合な」

「はい」

僕はその曖昧な笑顔の理由を知っている。

それを思い出して、ちょっとだけ悲しくなった。

ガイさんを見送って、僕は荷物整理の続きに取り掛かった。


「こんなものかな」

持って行くものをまとめ、持って行かないものはすみっこに整理。

もともと僕の私物は少ないから、持って行かないものの方が少ないのだけど。

果たして僕は、再びここに帰ってくることができるのだろうか。

誰も部屋の近くにいないことを確認してから、鏡に向かって眼帯をはずす。

そこには、アッシュに譜術を施された故の、オッドアイ。

僕本来の色をした、右目の緑。

音素を制限するための、左目の青。

いよいよだ、と思うと、左目がちりりと熱を持った気がした。

アッシュから聞かされていた、“その日”はやってきた。

アッシュは多分全部を話してくれてはいないけど、ある程度のことは聞かされている。

これから、ありとあらゆる戦いが起こること。

戦いになる以上、少なからず犠牲は出るだろう。

そして僕もアッシュの頼みを守るため、戦わなくてはならない。

譜術を使えることは隠しているから、蹴り主体になるだろうな。

もちろん、足の装備も怠ってはいない。

けれど、やはり不安で。

僕はアッシュの頼みを守りきることができるだろうか。

死なずに、生き延びきることができるだろうか。

ふと、初めてアッシュに会った時のことを思い出した。

それは本当に朧げな、火山での記憶。

『俺達は今、生きてるんだよ!』

初めて僕たちを人間だと認めてくれた。

初めて僕たちに生きていて欲しいと願ってくれた。

大好きで、大切なアッシュ。

次々と、彼に教えられたことが頭に浮かんでくる。

『生きたいって意思が強ければ、きっと生きられるさ』

それは、死という言葉を学んだ時に、僕が、僕たちも死んでしまうのかと聞いたときの返事。

だから、生きることを諦めるなと。

喪われてしまった命の分だけ、精一杯生きろ、と。

刻み込まれていた言葉がよみがえる。

生きよう、生きたい、生き抜くんだ。

僕たちに、生きたいと思わせてくれたアッシュのために。

大切な人たちを、守り抜くために。

生きたいと願う、僕自身のために。

気合を入れて、顔を上げる。

決意は固まった。

もう絶対に揺らがせない。

『生きて生きて、大切なものを守れ』

「分かってるよ、アッシュ」

思わず口に出す。

鏡に映るのは、引き締まった顔をした自分。

行こう。

僕が行くべき場所へ。


はじめてのひと
(初めて見つけた、大切な人の言葉を胸に)