少しだけ、夢を見た。 あまりよく覚えていないけれど、暖かい夢だった気がする。 それがどんなものであれ、今の自分には残酷でしかないけれど。 意識がゆっくりと浮上するのを感じる。 なんだかゆらゆらと揺れている気がする。 「なに、目が覚めたの?」 …聞いてはいけない声を、聞いた気がした。 いや、正確には問題なのは声ではない。 彼らはみんな同じ声なのだから。 だからこの場合、問題なのはその声の持ち主が誰か、だ。 「起きたんならさっさと起きてよね」 彼で間違いないらしい。 寝ていても現状がよくなるわけがない。 起きることにしよう。 目を開けると、やっぱりそこには彼がいた。 「やっと起きた」 「…なんで、シンクがここにいる?」 仮面をつけたままの、シンクが、そばに座っていた。 そのまま辺りを見回す。 自分が寝ている場所はベッド。 壁は…たぶん木。 窓の外は……海。 「…海の上?」 「そう。意外と理解が遅いんだね」 起きていきなり理解ができるわけがない。 とりあえず記憶をさかのぼると、覚えているのは… ザオ遺跡でパッセージリングを操作して、外に出た後、アッシュからの通信が入ったこと。 だが、頭痛が酷すぎてまともに意識を保てず、意識を手放した…のは覚えている。 そこからどうしてこの場面に繋がるのか。 シンクの方を向いても、何も言わない。 しばし、沈黙が漂った。 沈黙を破ったのは、扉の開く音。 「ちょっと、ルークの目は覚め…ルーク!」 「の、ノワール?」 「大丈夫かい?ったく、あれだけ無茶はするなって言ったのに」 どうしてここにシンクがいて、ノワールがいる。 「ノワール、何がなんだかさっぱりなんだけど」 ノワールに説明を求めると、あっさりと答えを言われた。 「あんた、砂漠で倒れて、この子に助けられたんだよ」 「シンクが!?」 思わずシンクの方を向く。 シンクは何も言わない。 「ふうん、シンクっていうの、アンタの名前」 名乗らなかったのか。 「ミュウは?」 水色の聖獣が見当たらない。 「あのチーグルなら、そのシンクって子に追い出されて、今は上」 これが船なら、この場合は甲板か。 それより。 「シンク、何で…」 全部の意味をこめて、尋ねた。 「僕は、借りを返しただけだよ」 「もしかして、エンゲーブ辺りで俺がお前を助けた時のことを言っているのか?」 「僕は、借りは返す主義なんだ」 たぶんそうなのだろう。 時間を考えると、シンクが自分を見つけたのは、傷が癒えてすぐではないだろうか。 意外にも思いつつ、状況把握を続けた。 「それで、ここはどこだ」 これにはシンクではなくノワールが答えた。 「船。あんた、ダアトに向かうって言ってただろ。 この子があんたをアタイらのとこまで連れて来たんで、とにかく船を出すことにしたんだ」 つまり、シンクは俺を砂漠で拾ってケセドニアまで連れてってくれたのか。 …どうして。 「ノワール、ちょっとシンクと話をするから、出ていてくれ。もう少しミュウのことを頼む」 「何かあったらすぐ言うんだよ。あんたは今、アタイらの雇い主なんだからね」 「ああ」 ノワールが出て行くと、再び沈黙が漂った。 俺はシンクに向き直ってから、改めてたずねる。 「シンク、どうして俺を助けた」 「言ったろ。借りを…」 シンクをさえぎって続ける。 「違うな。それもあるだろうが、何かもっと大きな理由があって、俺を助けたんだろ」 俺は砂漠の真ん中で倒れたはずだ。 探そうとしなければ、見つかるはずがない。 なら、シンクは自分を探していたことになる。 借り、だけでは済まされない何かの理由があって。 少しだけ、シンクの肩が震えた気がした。 「アンタ、一体何をやってるのさ」 「?」 どういう意味で聞いているのか。 「僕を助けたり、砂漠のど真ん中で倒れてたり。それになんで一人なの? 僕があの連中のとこにアンタを運んだあと… ケセドニアで、あんたの仲間たちがあんたのこと、探してたよ」 「!」 俺を、探していた? なぜ? 「しかも、アッシュが一緒だった」 …そうか、最後の通信で、俺が砂漠で意識を失ったのを感じたのか。 そのあと、オアシスでみんなと会ったのだろう。 そこで、俺が一人であることに気づいたに違いない。 今のところ、あの時と大して変わらない道筋を歩んでいるようだ。 「ねえ、何で?」 だけど、なぜシンクがそんなことを気にするのか。 単なる好奇心か? それでも、助けてくれたからには答えようと口を開く。 「捨ててきた」 シンクが仮面の下で、息を飲んだ。 「仲間も、陽だまりも、捨てて…今、俺はここにいる」 「っどうして!あんたは何もかも与えられてたんだろ!どうしてわざわざ捨てる必要がある!?」 シンクがいきなり声を荒げた。 俺はずっと陽だまりにいるはずの存在、いなければいけない存在だと思っていたのか。 けど、与えられることを、必ずしも望むとは、限らない。 「今の俺には…要らなかったから」 あの中にいると、揺らいでしまう。 固めた決意を揺るがすだけの力が、ある。 シンクが、肩を震わせて激昂した。 「ふざけるな!僕には、何も…何も与えられなかったっていうのに、与えられたお前はそれを捨てるだと!? いい加減にしてよ!傲慢にも程があるよ!」 何も、与えられなかった。 ああ、そうか。 シンクは、俺が許せなかったのか。 あの世界で、シンクは空っぽだと(きっと心で泣きながら)叫んで、地核に身を投げた。 ずっとそうだと思っていたから、捨てた俺が許せなかったのか。 でも、きっと違うんだ、お前は。 「何も、与えられなかったわけがない」 「何だって!?」 あの時伝えられなかった言葉を、伝えてしまおう。 もう、後悔なんて、したくないから。 「それはきっと、お前が空っぽでいたいと思っているから、気づけないんだ」 「お前に…お前に僕の何が分かる!」 「お前が、今、生きているということを知ってる」 シンクがまた、息を飲んだ。 「そうやって怒って、苦しんで。あるいは笑って、喜んで。 感情が動いている限り、動かされる何かを与えられている。 たとえそれがいいものばかりではないとしても…お前は空っぽなんかじゃないよ。 きちんと、意味のある生を掴んでる」 「そんなはずない!だって僕は…求められなかった廃棄品なんだから! 生きている意味なんてない!あるはずがない!」 シンクが、否定するように強く叫ぶ。 “生きている意味”、“生まれた意味”。 散々、俺が悩んで、迷ったこと。 「生きている意味なんて…今、自分が生きていることを知っている、それだけで十分だ。 今、俺達は生きている。生きて、色んなものを与えられて、色んなものを与えている」 それは、俺が出した答えだ。 ヴァン師匠に提示された、生きる意味が無ければ生きられないのかという問いへの。 俺がここにいて、そこに誰かがいる。 それだけで生きるには十分なのだと。 「なあ、俺達は、ここにいるだろ?」 俺がシンクに伸ばした手を、シンクは弾いて後ろずさる。 「う…うるさいうるさい!僕は…僕は…!」 シンクは俺を見ず、ぶんぶんと頭を振っている。 その姿が、前回の、アクゼリュスでの自分と、重なった。 認められないんだ。 認めたら、何かが壊れてしまう気がするから。 今まで自分を定義していた何かを喪ってしまうから。 でも、認めなければ、そこから進めない。 ずっと、小さな殻に閉じ込められたままだ。 シンクは、生きることに目を背けて、世界を否定して死んでいった。 死なせたく、ない。 ただ、それだけだった。 「違う、違う、ちが……!」 「目を背けるな。前を見ろ」 立ち上がってシンクの手をつかむ。 血の通った、温かいからだ。 何かを思おうとする心。 人間と何も変わらない。 確かにここで生きている命。 「は、はな…っ!」 抵抗しようとするシンクを抑えて、(混乱していたせいか、力がこもっていなくて抑えるのは楽だった) 真正面からシンクを見据える。 シンクの悲鳴のような叫び声をさえぎって、俺は言った。 「しっかりしろ。お前は今を生きる“人間”なんだ」 その言葉に、シンクが堰を切ったかのように泣き出した。 そのまま、シンクが泣き疲れて眠るまで、頭をなでながら抱きしめ続けた。 その涙は、とても温かった。 確かに灯された、その命の焔 (触りあって、カタチが分かった時、きっと人はここにいることを知る)