目を開けると、最近見慣れるようになった、天井だった。 漆黒の翼の船だ。 …俺は、どうしたんだったか。 「ご主人様、目が覚めたですの!」 傍にいたのか、目が覚めるなり飛びついてくる。 「ミュウ…俺は、どうしたんだった?」 「ご主人様は、お船が出た後、苦しそうにしゃがみこんで…倒れたですの」 ああ、そうだ。 ベルケンドでアッシュたちに見つかって、港まで走って。 船に乗ったらアッシュと回線を開かれて、大声で叫びあったんだ。 何とか回線を切れないかと思って力をこめて…痛みが酷すぎて気を失ったのか。 「もう大丈夫だ。だからそんな心配そうな顔をするな、ミュウ」 ミュウの毛を撫でながら立ち上がって、部屋を出る。 天気は快晴、船は順調に…どこに向かっているんだ? 「ルーク、起きたのかい。全くあんたは倒れてばっかりだね」 「今回のは不可抗力だ。それよりノワール、今はどこに向かっているんだ?」 「タタル渓谷に行くんだろ?そこのチーグル…ミュウから聞いたよ」 そういえば言った気もする。 「そうか、ありがとうミュウ」 「ご主人様のお役に立てて嬉しいですのー!」 今度は嬉しそうに飛び跳ねた。 「スピノザはどうしている」 「言われた通りすぐに船室に放り込んで、出してないよ」 それなら、ヴァン師匠に密告も出来まい。 「よし。タタル渓谷に着いたら、一回スピノザを連れてナム孤島に戻って、 そこで思う存分スピノザを使ってくれ。 あいつは物理学者だ。ナム孤島にはなかなかいないだろ?」 「そりゃ、いないけど…いいのかい?」 「むしろ、外界との繋がりがないあそこじゃなきゃいけないんだ」 周りが山で逃げ出すことも出来ないし、対空砲火も常にしているし。 「それで、スピノザを置いた後は?」 「こっちに戻って迎えに来てくれ。その後は…メジオラ高原かな」 確か、タタル渓谷に行った後、シェリダンで地核振動数計測結果を渡して平和条約を結ばせて、 地核作戦をやってからメジオラ高原…だったよな。 「やれやれ、忙しいこったね…少しくらい休んだらどうだい?」 「どこで予定が早まるか分からないから、急ぐに越したことはない」 大分先取りになってはいるが。 スピノザを連れてきたから密告はされず、シェリダン襲撃は起こらないはず。 ヴァン師匠に知られなければ、シンクもタルタロスには密航しないだろうから、これで一応は大丈夫だろう。 向こうには常に脳がフル回転しているジェイドもいる。 不測の事態があってもそうそう取り乱しはしないだろう。 「よし、今のところは大分順調だ」 「そうなんでゲスか」 「ああ」 独り言に答えたウルシーにも返事をしてやる。 「俺は部屋にいるから、タタル渓谷に着いたら教えてくれ」 タタル渓谷に着いて、魔物たちを追い払いながら先に進む。 パッセージリングに行く前に、セレニアの花畑に寄った。 白い白いセレニアがたくさん咲き誇る花畑。 何もかもが始まった、この場所。 そして、旅が終わりを告げた場所。 覚えている。 そっと、右腰のローレライの鍵に触れた。 「ようやく来たね」 不意に、するはずがない声がして、振り向いた。 「いつ来るかと待ってたんだけど、結構待つ羽目になったよ」 そこにいたのは。 「し、シンク…!?」 こんなところにいるはずがない。 確かこの頃シンクはラジエイトゲートにいたはずだ。 前回、ダアトでそう聞いた覚えがある。 「な、何でこんなところにお前がいるんだ?」 聞けば、シンクはため息交じりで肩をすくめた。 「…目が覚めてみればアンタはいないし、ダアトはパダミヤ平原が降下したせいで大騒ぎだし。 かつよくよく考えれば、あの時、上手くはぐらかされて僕は質問に答えてもらってない」 「質問…?」 そういえば、何かを問われて…色々話している内に言い合いになったんだったな。 「アンタが何をやっているか、だよ。もう忘れたの?」 そうだった。 「僕があんたと会ったのはセントビナーの辺りと、オアシスの辺り。 まさかパッセージリングを巡ってるんじゃないかと当たりを付けて、こうして待ってたんだよ」 「…来なかったらどうするつもりだったんだ」 「来るまで待つさ」 呆れるほどの辛抱強さだ。 それをもっと別のところで発揮して欲しかった。 「それで、答えは何だったの? それを聞くためにこんなところまで来て待ってたんだから、ちゃんと答えてよ」 そんなもののために、こんな所で待っていた? 「シンク、バカだろ、お前」 「は?」 シンクの間抜けな声が返る。 それを無視して、歩き出した。 「悪いけど答えるつもりはない。これで用は済んだな?なら、さっさと戻れ」 「嫌だね」 すれ違い様に腕をつかまれる。 「僕はもうひとつ目的があって来たんだよ」 まさか、ヴァン師匠の命令による、妨害か? そう思って身構えると、シンクは対照的に手をひらひらさせた。 「戦いに来たわけじゃない」 シンクの意図がまったく読めない。 「なら、どういうつもりだ?」 「責任を取ってもらいに来た」 …は? 「今度はあんたが間抜けな顔をしたね」 とりあえず今の皮肉は無視だ。 責任をとってもらいにきた? いったい何の責任を? 「アンタ、僕にえらそうに説教してくれたじゃない」 それは確かにそうだが、それがどうして責任? 「…それによって、僕は変わらざるを得なくなった。」 考え方を変えてくれた、ということだろうか。 それなら、力いっぱいやった説得も無駄だじゃなかったということか。 けど、変えてくれたとして、ここにいる理由が分からない。 「それで、どうするつもりだ」 手を振り払って、シンクと対峙した。 「ついてく」 「は?」 もう一度間抜けな声をあげた。 今、何て言った? 「正気か?そんなことをしたら、お前、ヴァンのところには戻れなくなるぞ」 「構わないよ。というか戻りたくない。 そもそもヴァンのところにいるのだって、死ぬまでの暇つぶしだったんだ。それよりこっちの方が断然いいね」 シンクの目は本気だ。 「俺についてきて、お前に何かいいことがあるのか?」 シンクはなぜ分からないのか、といった顔をしている。 一つため息をついて、話し出した。 「…ちょっと不本意だけどさ、あんたの説教、嬉しかったんだよ。 僕を人間扱いしたのはアンタが初めてだったからね」 ……嬉し、かったのか。 「おかげで僕は、自分で初めて人間なんだって実感することができた。 でもダアトに僕を人間扱いしてくれる奴なんていないし」 どうやら、シンクは俺の望む方に考え方を変えてくれたらしい。 ちょっと安心して、続きに耳をかたむける。 「僕はれっきとした人間だ。なのに僕を人間扱いしないやつと一緒にいるつもりはない。 だから、アンタのところへ来た」 俺以外シンクを人間扱いしない、というところに若干気になることはあるが……どうするか。 シンクが生きようとしてくれたのは万々歳だ。 だけど、連れて行くとなると別問題だ。 下手したらヴァン師匠とも戦うことになるんだが、それも覚悟の上だろうし。 何より、死んだ時に誰も何も思わないように、一人を選んだのに。 けれど、今ここでもんもんと悩むのは時間の浪費この上なくて。 しばらく黙っていると、シンクが俺が悩んでいるのを察したらしい。 「言っておくけど、拒否は不可。無理やりにでもついていくからね」 どうやら俺に選択権はないらしい。 無理やり叩き伏せてもいいが、どうにもシンクの最期がちらついて、戦う気になれない。 …仕方ない。 とりあえず一緒に行くことにして、後でこの後の予定も踏まえて話し合おう。 「好きにしろ」 「元よりそのつもり」 歩き出した俺に、シンクがついてくる。 まさかこんなことになるとは予想外だった。 「ご主人様、シンクさんも一緒ですの?」 「あんたのペットのチーグルか」 道具袋から顔を出したミュウをシンクがつつく。 「ミュウをいじるな」 道具袋から取り出して、肩に乗せる。 後ろから不満そうな声が上がった。 「一人を望む割には、そいつは随分大事そうにしてるじゃないか」 「ミュウは特別なんだよ」 どんな時でも、俺を見捨てなかったばかなチーグル。 こいつには、俺の生き方を見届けさせると決めた。 俺がどんな道を歩んで、どんな終わりに行き着くのかを。 ミュウが嬉しそうに鳴いた。 「ご主人様と一緒ですのー!」 ミュウの高い声が気に障ったのだろうか。 シンクがやけにつっかかってくる。 「煩いよ、そいつ」 「元からだ」 こればっかりは仕方がないから、シンクの不機嫌は気にしないで進むことにした。 足音が一つ増えたことに、酷く違和感を感じる。 木霊じゃない足音 (誰かの隣を歩くなんて、随分と久しぶりだった)