苦しい。 哀しい。 痛い。 これは一体誰の思いだろう? 目を覚ますと、全く見慣れない天井だった。 目の辺りがとても痛い。 起き上がる前に、声がかかった。 「イオン様、目がさめましたか?」 顔を向ければ、オリバーがいた。 視界の端では、パメラと、僕によく似た――。 そこで意識が一気に覚醒した。 いろんな言葉とか、映像とかが頭を駆け巡る。 ばらばらのピースは、あるイメージを感じた瞬間、一本の線に繋がった。 『……罪を背負うのは、俺だけでいい』 無感情に告げられたその言葉。 その無感情には、数え切れない程の感情が詰まっている。 起き上がって、飛び出そうとした。 だが、扉は開かない。 「イオン様、開きませんよ。なんでも、悪い人たちから私達を守るためだそうで」 オリバーがのんびりと説明するのにも、構っていられなかった。 行きたい。 ルークのところに。 嫌だ、止めて、と叫びたい。 そのためなら、とダアト式譜術の構えを取る。 だが、術は発動しなかった。 なぜ。 どうして。 僕が劣化しているから? こんな時に! 大切な人を守りたいときに力が使えなくて、何が導師か! ダン、と扉を叩くと、扉の向こうから声がした。 「部屋の周りにしいてある譜陣で、あんたはそのダアト式譜術とやらは使えないよ」 誰かは分からない。 だが、人がそこにいるのは確かだ。 「出してください、お願いです!僕はルークを止めたいんです!」 必死に扉に縋る。 「だめだね。俺らは、あんたらをそこから出さないように依頼されている」 「お願いです!じゃないと……」 どくん、とルークの言葉がよみがえった。 『死さえ、もう怖くはないよ』 『ああ、もう、時間、ないしな』 「ルークは、死んでしまう……!」 彼の目は、死を覚悟している。 それも、ずっとずっと前から。 それなのに、彼の心には一つの波紋もなく、ただただ穏やかで。 その心で、全ての汚濁を飲み込んで、一人逝こうとしている。 その時は、そう遠くない。 「開けて下さい……っ!」 嫌だ、と体の芯が悲鳴を上げた。 「……知ってるよ」 必死な声に返されたのは、彼と同じくらい、静かな声。 「あの子が、何もかもつらいものを飲み込んで、死を選ぼうとしていることくらい、俺達にだって分かる」 「なら、どうして……っ!」 「俺達だって散々迷ったさ。 この一ヶ月、今までのルークの言動を分析してみてさ、ああ、ルークは死ぬ気なんだって分かった時に。 たくさん話し合って、たくさん喧嘩して、それで俺達が出した結論は、ルークの好きにさせてやろうってこと」 無言で、続きを尋ねる。 「ルークは止まらないよ。全ての決心は、俺達が会うさらに前だ。それでも最初は危なっかしく揺れてたんだけどね。 あの仮面の子、シンクだったな。 あの子と一緒に行動するようになった辺りから、ルークの目には迷いがなくなった。 ただひたすら、目的だけを見てた」 その声は、苦しそうで、痛そうで、哀しそうで。 「俺達ゃ、あいつらの会話、ちょこちょこ聞いてたんだよ。 ルークにとって、自分を犠牲にして世界を救うことが全てだった。それだけが生きる意味だった」 彼も、ルークを惜しんでいる。 けれど止めることはしない。 きっと、僕よりもルークのことを見てきた彼らが。 「ルークが七歳児ってのも聞いた。そんな子どもが、必死に世界を駈けずり回っているのを俺達は見てきた。 ありゃ、七歳児がする目じゃないよ。あれは何もかもを受け入れる殉教者の目だ」 ルークの存在意義、価値、生きる意味。 それらが、そんな形になってしまったのは、そんな形にしてしまったのは。 「俺達はルークを止められない。助け、見守るだけだ。 俺たちは、あいつの真っ白な世界に踏み込むことは、できなかったからな」 きっと、僕らなんだと。 目に、また涙があふれた。 「そんなあの子が、お前をここで守って欲しいと言った。ならば俺らはそれに従うだけだ」 温かくて、幼くて、でも何より優しかったあの人を切り裂いてしまったのは、僕ら。 あの人の世界を、何よりも深く、哀しい白に染め上げてしまったのは、僕ら。 彼は、もう僕たちの声が届かない場所に行ってしまった。 零れ落ちる涙が止まらない。 「ああ、それから、ルークからあんたに一つ伝言があったな」 思い出したように、彼が告げるその言葉は。 「さようなら、イオン、生きて幸せになれ」 何よりも残酷な、宣告。 最後の声が、耳からはなれない (僕たちを残して、きっとあなたは消えてゆく)