遠くに見える水面は、ひたすら静かだ。 それは、今の俺の内心を表しているようにも思える。 もう随分と昔に感じる、彼女と見た海もこんな感じだった。 あの時は、まさかこんな気持ちを抱えて、また海を見るとは思っていなかった。 「ルークさん、隣、いいですか」 振り向くと、そこには月を背にしたノエルがいて、いいよ、と隣を空ける。 ノエルはそこに座って、一緒に海を眺める。 「随分無理させてただろ。大丈夫か?」 「はい。合間合間に休んでいましたし……今夜はゆっくり出来そうですしね」 この旅は急ぐことが多くて、ほとんど機内睡眠だった。 その間操縦していたノエルは、俺達が出ているときしか休めなかったはず。 疲れていないはずがないのだ。 だが、彼女は心配をかけまいと気丈に振舞う。 その姿勢も、前回と全く変わっていなかった。 「ルークさん、あなたは、何のためにこんなに頑張るんですか?」 俯くノエルは、なんだか哀しそうだ。 「いっぱい頑張って、身を削って……最後には……死んでしまう、のでしょう?」 少し躊躇ったあと、ノエルは最後まで言い切った。 言ってから恥じるように顔を背ける。 「……俺は死ぬことは怖くないよ、ノエル」 「そんなっ誰だって、そこに命があるなら生きていたいと思うでしょう!?」 声を荒げて、慌ててノエルはすみませんと謝った。 謝らなくていいよ、と俺は星が綺麗な空を見上げる。 「昔はさ、俺も生きたいって思ってた。死にたくない、死にたくないって、そればっかり思ってた」 「それが、普通なんですよ」 「そうだな。ずっと前に、仲間もそう言ってた」 「仲間って……アッシュさん達、ですよね?」 「さあ、どうだろな」 そうであってそうじゃない。 はぐらかして、先を続ける。 「でも、どうあっても助からないんだって思ったらさ、今度はみんなを悲しませたくないって思ったんだよ」 あの時の、悲痛なみんなの声は、いつだって思い出せる。 帰ってくると、守れもしないのにしてしまった約束。 「最後は一人でいい。誰も悲しまないで欲しい。ただ静かに悼んで、生きていてくれればそれでいい。 それで選んだのが、ミュウとシンクなんだけどさ」 シンクは別のところで待機、ミュウはもう火の傍で寝ている。 彼らは、俺が選んだ見届けてくれるもの。 自分で選んだシンクはともかく、ミュウには少し申し訳ない気もするが。 「最終的には、イオンに少し話すことになって、ノエルにも少し聞かせることになって…… 辛かっただろ、悪いな」 嫌だいやだと大泣きしたイオン。 今もナム孤島で悲しんでいるのかもしれない。 そして、ノエルにも少し悲しい未来を知らせてしまった。 俺は、誰にも泣かないでいて欲しいのに。 「ルークさんこそ、謝る必要なんてありません……ルークさんが、一番辛いはずなのに……っ」 「みんなそう思うのかもな。でも、実のところ、当の俺はすっごく穏やかなんだ。 何と言うんだろうな、この感じ。 怖くない。楽しいわけでもない。だが、ひたすら穏やか。ちょうど、この海みたいにな」 眼前に広がる、深く暗く静かな、深淵のような。 「ずっと昔に、俺がまだ死にたくないって思ってた頃、同じように夜の海を前にして、 俺は仲間にこう言ったんだ。“今が、一番幸せじゃなきゃいいのに”って」 ノエルはその意味が分かったのだろうか。 息を呑み、手を握り締める。 「でも、今は幸せだって思える。後悔はない、ただ自分のやることだけが見えている。 これはすごい幸せなことなんだと思える」 後悔ばかりで、何をすればいいか分からなくて、自分の存在意義に悩んで。 戦って、殺して、怖くて、でも戦わなきゃいけなかったあの頃に比べれば、ずっと。 「生まれてきて良かったと、心の底から思えるよ」 生まれて、終えて、帰って来たことに意味があると思える。 それは俺が求めていた全てだった。 「だから、俺が死んでも悲しむな、ノエル。俺はそれを望まない」 そう言い切ったら、左に軽い衝撃が来るのを感じた。 見れば、ノエルが顔を俺の左腕に押し当てている。 「ルークさんは、ずるいです……そんなことを言われたら、私はあなたを恨むことさえできない……」 震えている。 多分、この体勢を取っているのは、その顔を俺に見られたくないから。 だから俺はあくまで前を向いたままで、答える。 「そうだな、俺はずるい。だが、これが俺の望みだ」 ノエルはもう、答えない。 腕にかかる重みが増える頃、(つまりノエルは眠ってしまった)シンクがやってきた。 「瘴気中和したら、アンタは死ぬの?」 「多分、まだ死なないよ。保証はないけど」 「どういうこと?」 「そうだな、そろそろ話すか」 座れよ、と促せば、シンクはノエルの反対側、右に座る。 「で?」 「瘴気中和は、超振動により、第七音素を使って行うもの。 だが、その反動はすさまじくでかくて、下手をすれば俺は乖離する。 中和で生き残れるかは……まあ七割、ってとこだな」 今回はアッシュの手助けはない。 その代わり、宝珠による拡散もない。 ローレライの宝珠は、もう随分前に剣から切り離して、ミュウに持たせている。 第七音素も、あの時より多いくらいだ。 中和にどれくらい使うか分からないが、少しでも余るようなら、俺の体の構成に使える。 今超濃密になっているローレライの剣が傍にあるせいで、 俺の体はやや不安定だが、ローレライの力によって、ぎりぎり乖離することはない。 「でも、生き残るつもりなんでしょ?」 「ああ。まだ全部終わってない」 最後の一仕事、ヴァン師匠とのけりと、ローレライの解放が待っている。 少し間を空けた後、シンクは立ち上がった。 「なら、いいや。お休み、ルーク。 僕が番をしてるから、アンタは明日万全の体勢で挑めるように、寝な…… その体勢じゃちょっと大変かもしれないけどさ」 そういって、離れていく。 シンクが指しているのがノエルのことだと分かって、苦笑する。 穏やかな深い海と、星の煌く空に包まれて、俺は目を閉じた。 明日が怖くなくなった日 (夜を過ごすのが怖くなくなった。夜明けを待つのが怖くなくなった)