とても綺麗な歌声が響いた。

それが夢か現かは、分からない。


白い花畑で


白い花が咲く花畑で、少年は目を覚ました。

「う……あ……?」

意識も定まらないようで、頭に手を当ててバランスをとっている。

しばらくそうしていたかと思うと、急に顔を上げる。

少年の視界に入ったのは、見慣れた屋敷の中庭でも自分の部屋でもなく。

白い花畑と、それから傍に倒れている女性。

少年は、その女性をしばらくじっと見つめていた。

そして、その顔を泣きそうに、嬉しそうに、悲しそうに、歪める。

「……ありがとう」

少年はぽつりとそうもらすと、女性の肩を揺さぶった。

「おい、起きろ、起きろってば!」

「う……」

しばらく揺らすと、その甲斐あったのか女性は目を覚ましたようだ。

起き上がってあたりを見回している。

「あなたは……ここは?」

「さあ。俺が聞きてーぐらいだ。つーかお前誰だよ」

屋敷で師匠に襲い掛かろうとしやがって、と少年は言う。

起き抜けでしばらくぼんやりしていた女性は、その言葉を聞いて目を見開いた。

そして落ち着くようにして幾度か深呼吸をしてから、改めて口を開く。

「……人に名前を尋ねる時は自分から名乗るものじゃないかしら?」

「えっらそーに。まあいいや。俺の名前は、ルーク・フォン・ファブレ。で、お前は?」

ルークはちょっと不満そうな顔をしながらも、名乗る。

「神託の盾騎士団所属の、ティア・グランツ響長よ。偉そうなのはあなたじゃない」

「偉いんだよ。ファブレの名、知らないのか?」

「キムラスカ王国の公爵家でしょう」

「知ってんじゃねーか。なら何で師匠を襲ったんだ」

ティアはしばらくルークを見ていたが、やがてため息と共に言葉を吐き出す。

「あなたに言ったところで理解できないと思うわ」

その言葉に、ルークは訝しげな表情を浮かべる。

「何だそれ」

「とにかく、あなたを連れ出してしまったのは事実だし、バチカルまで送っていくわ」

「おい、何で言わないのかって聞いてんだよ」

ルークの質問にティアは応えず、あたりをきょろきょろと見回した後、歩き出した。

一度ため息をついて、質問を変える。

どうやら聞くことを諦めたようだ。

「どこ行くんだ」

「あちらに海が見えるでしょう。

そこから川が流れているから…その川をたどればこの谷を出られるはずよ」

ティアも今度は足を止めて反応を返す。

そういうものなのか、とルークは指された海を見つめる。

「何にしてもこの谷は抜けないといけないもの。それに、夜の谷は危険だわ。早く抜けましょう」

「むしろ朝になるまで待った方がいいんじゃねえのか。夜に抜ける方が危ねえだろ」

あたりに魔物の気配は全くなく、白い花が風に揺れているだけだ。

「ばか言わないで。早く抜けた方がいいに決まってるでしょう」

そう言って、ティアは再び歩き出す。

少しためらってから、ルークもそれについて歩き出した。

「で、何で俺とお前はこんなところにいるんだ」

歩ける道を探しながら、ティアが答えた。

「どうやら、私とあなたの間で擬似超振動が起きたみたいね。あなたも第七音素譜術士だったのね」

だが、された説明にルークは首をかしげる。

「何だそれ。ぎじちょうしんどう?せぶんす……なんだ?」

「そんなことも知らないの?お坊ちゃまとはいえ、預言を知らないわけではないでしょう?」

ティアは呆れたように肩をすくめる。

「しゃーねーだろ。俺、昔マルクトに誘拐されかけたせいで記憶障害起こしてんだよ。

おかげで屋敷に軟禁されるし、こんな女にばかにされるし、散々だ」

「ばかなのはしょうがないでしょう。それより、軟禁、ですって?

あなた、屋敷から一度も外に出たことがないの?」

ティアにとっては、そちらの方が信じられないらしい。

「それを軟禁って言うんだろが。そうだよ。少なくとも七年前からはずっと屋敷にこもりっぱなしだ」

「ふうん……そんなこともあるのね」

もう興味はないというように、ティアは会話を止めて再び通れる道を模索し始めた。

そして、不意に振り向いて尋ねる。

「あなた、剣は使えるのよね?」

確定形で聞かれ、とりあえずルークは頷いておく。

「使えるっちゃ使えるが、実戦経験ねえし、こんな木刀じゃないよりマシ程度だ」

現在ルークが持っているのは、訓練用の木刀。

飛ばされる直前まで、ヴァンと稽古をしていたのだから、当たり前の装備だ。

「ならいいわ。あなた、前衛に立ちなさい」

「……は?」

「前衛に立って魔物をひきつけてって言ってるの。私は後衛なのよ」

そう言って持っている杖を指し示す。

ルークはしばし呆然とし、そして瞬きを繰り返してから口を開いた。

「お前、正気か?もっかい言うぞ。俺は、ルーク・フォン・ファブレだ」

ありえないものを見たかのように、ルークは恐る恐る言う。

それにティアは訳が分からないといった表情をする。

「……キムラスカの、王族だぞ」

ルークはちょっと間を空けた後、そう言い直した。

そして、ティアもまた、間を空けた後、少し苛立ったように先を指し示した。

「だから、私は後衛だって言ってるでしょ。剣を使えるのならば後衛を守るのが務めだわ。早くしなさい」

ルークはもう何回目になるか分からないため息をついて、前に進み出た。

ティアとすれ違い様に、一言。

「後悔、するなよ」

どういう意味、というティアの言葉を背に、ルークは川にそって歩き始めた。


川は、穏やかに流れている。