海空の間の小さな船の上


何度か野宿をしながらも、一行はカイツール港へ到着した。

事前に連絡が入っていたおかげで、滞りなく準備が進められている。

ルークは船の傍にヴァンを見つけて、走りよった。

「師匠、お待たせしました。船の準備は出来てるんですか?」

「ああ、待っていたぞ、ルーク。もう少しで出港できるだろう。

それまでしばし待っていなさい」

「分かりました」

ルークは頷くと、一行の下へと戻った。

「出港にはもう少し時間がかかるってよ」

「そうか。じゃあそれまで各自休憩にするか?ここまで野宿だったし」

ガイが提案して、ジェイドが頷いた。

「そうですね。皆さん、くれぐれも船に乗り遅れないように」

ジェイドが釘を刺して、一行はばらばらになった。

ルークは一人になってふう、と息をつく。

あたりを一度見回してから、今度は満足げに息を吐いた。

「上手くやってるみたいだな……さて、まずは詰所に行くかな」


しばらくして船は出港し、一行は無事にカイツール港を発った。

部屋は各自個室となったので、それぞれ荷物を置き、また適当に自由行動となった。

とりあえずどうしようかとルークが迷っていると、ノックの音がした。

「誰だ?入っていいぜ」

ルークが促すと、ジェイドが入ってきた。

「ん?何だジェイドか。どうした?」

ジェイドは一度眼鏡を上げてから口を開く。

「あなたに聞きたいことがありまして」

「何だよ、改まって」

「……もしも、自分が自分じゃなかったら、どうします?」

それは酷く抽象的な問いだった。

ルークは一度目を瞬く。

それを理解不能と取ったのか、ジェイドは首を振った。

「いえ……分からないなら構いません。

我ながら馬鹿なことを聞きました。今のことは忘れて下さい」

そう言って踵を返す。

部屋を出て行こうとするジェイドを、ルークが呼び止めた。

「そんなことはありえないから、その仮定に意味は無い」

きっぱりと言い切ったルークに、ジェイドは背を向けたまま聞いた。

「……どこにそんな根拠があるというのですか」

その言葉に、ルークは笑って答える。

「自分じゃない、なんて前提が有り得ないんだっつの。

どうあっても、誰が何と言おうとも俺は俺。俺は誰でもない、ここにいるただの俺」

ジェイドからは、返事の代わりに沈黙が返って来た。

ジェイドは戸に手をかけて、開ける。

「失礼します」

それだけ言って部屋を出て行った。

ルークはそれを見届けてふん、と鼻を鳴らした。

「言いたいことがあるなら言やいいのに。手遅れになる前に」


少し休んでからルークが部屋を出ると、甲板の外れでアニスに出くわした。

「あれ、アニス。イオンは?」

「あ、イオン様ならぁ、少し一人で海が見たいって、向こうにいますよ」

と、イオンは反対方向の甲板の方を指す。

ルークはそちらに視線を向けた。

間を見計らって、アニスは神妙な面持ちでルークを見上げた。

「ルーク様、変なこと聞いてもいいですか?」

「ん?」

なので、ルークも視線をアニスに戻す。

アニスはやや緊張した顔で、思い切ったようにルークに尋ねた。

「ルーク様って、ティアのことどう思ってるんですか?」

「どうって……」

意表をついた質問に、ルークも面食らった。

(何て言えばいいものか……)

言葉を選んで悩むルークを、アニスが胸に手を当てながら待つ。

やがてルークはよし、と一度呟いてから口を開いた。

「嫌いだが嫌なわけでもない」

「……?」

少々おかしな表現に、アニスは首をかしげた。

ルークは小さく笑った。

「いつか分かるかもな」


ルークは首を傾げるアニスの元を離れて、イオンのところへ向かった。

「海は、好きか?」

「ルーク!ええ、好きです。

青く、大きく……海を見ていると、穏やかな気持ちになれます」

いきなり話しかけられてイオンは驚いたものの、すぐに笑って応えた。

「じゃあ、この世界は好きか?」

「……ええ。ルークは、どうなんですか?」

今度は少し躊躇った後、そう答えた。

ルークは海から視線を移して、空を見上げる。

イオンも一緒に空を見上げた。

空は快晴、音譜帯がよく見える。

「そうだな……この世界は、好きかな」

「そう、ですか」

微妙な言い回しに、イオンは苦笑する。

ルークは一度辺りを見回した。

近くにいたアニスは、トイレにでも行ったのか、今はいない。

ルークはこっそりイオンに耳打ちした。

「イオン、復唱するなよ、聞くだけにしてくれ。“ディヴン”。

……この言葉を、覚えておいてくれ」

ルークはそれだけ言うと、ぱっとイオンから離れた。

「じゃあな。あまり風に当たるなよ。冷えるからな」

イオンはいきなりのことに、立ち尽くしたままだった。

思わずその言葉を呟きそうになって、慌てて口を塞ぐ。

それから、ルークのいなくなった方を見やった。

「どういう意味でしょう?」


言葉の真意がつかめず、イオンは首を傾げた。