蝶に焦がれた狐


とたとたと、走る音。

元気良く、どこか軽快に走る音。

それから勢い良く扉は開けられた。

「父さん!」

「どうしたんだ」

「聞いて!俺、アカデミー受かったよ!」


意気揚々と、満面の笑みで報告すれば、同じ満面の笑みが返される。

その大きな手が頭の上に乗り、ゆっくりと撫でてくれる。

「そうかあ、良かったな。ほら、お母さんにも報告に行っておいで」

「うん!」

次は、少し離れた部屋へとまた走る。

そこでも勢い良く扉を開けて、先ほどと同じ報告をした。

「まあ、頑張ったじゃない、今夜はお祝いね!」

また、同じような笑みを返された。

返されて、止まった。

そのまま、止まった。

一気に視界はまっかになった。

熱い。

火、だろうか。

手を見れば、その手はまっかだった。

まっかの手には、手に良く馴染んだクナイ。

それもまっかだった。

辺りはいつの間にか真っ暗になっていた。

その暗闇の中、僅かに光を反射する液体が広がっている。

あかかった。

自分の手も、その手に握るクナイも、それらにこびりついたものも、今目の前で広がっているものも。

そして、広がった液体の中に沈んだものも。

けれどそれは見慣れた光景だったから、何も思わず火を出して燃やした。

燃やして燃やして。

その火が照らして、今自分がいる立っている場所がまっかなのを知った。

途端、足元が揺らいだ。

ゆらゆらぐらぐらと。

そして沈んだ。

ゆっくりと、解け込むように沈んでいく。

炎はもう消えていた。

何もかもまっかになって。

「こら!」

いきなりゴン、と頭に衝撃が走った。

はっとして辺りを見てみれば、それもまた見慣れた光景で。

「授業中に居眠りか?」

「え?えっと……お、俺ってば居眠りしてたんじゃないってば!

えーと、えーと、えーと……よく分かんないってば」

こてん、と首をかしげる。

すると、もう一発衝撃が走った。

ただし今度は少し軽いものだった。

「当たり前だ、寝てたんだからな!」

いつものお叱りを受け、いつもと同じように時間が流れていく。

本当に、よく分からなかった。

頭のどこかが麻痺したようにぼやけている。

おかげで授業にも、元からしてないようなものだが、集中できない。

開け放された窓から流れてくる風も、どこか生ぬるい。

「こら、居眠りの次は余所見か?」

そんなことをしていたから、またお叱りを受ける。

来る衝撃に備えて、体をこわばらせた。

まず頭に一撃。

それから顔を横殴りされて、腹に三発。

げほ、と内臓のどこかが軽くつぶれた気がした。

痛みをこらえて顔を上げれば、見たことのない顔。

「っのガキ!泣き声一つあげやがらねえ!」

聞いたこともない声。


「気にくわねえんだよ!」

拳が、顔へと振ってくる。

その間、意識しなくてもこの目と頭は相手の認識にかかった。

全く、見たことのない顔、聞き覚えのない声。

見たことも聞いたこともない。

登録票でも、任務でも、普段の生活でも。

イコール。

消してもさして支障はない、ただの一般人。

そこまではじき出されれば、後は速かった。

いつもと同じ。

とうに体で覚えた行為を繰り返す。

ホルスターから抜いたクナイで拳を突き刺すように受け止めて蹴り一発。

呻き声の間に、クナイを持ち替えて相手の首に一閃。

正確に頚動脈を裂いてあかいものがあふれだす。

いわれのない言葉を受けるのは面倒だから、す、と避けて、ただ静かに倒れていくのを眺めやる。

どさりと倒れて、証拠隠滅のために、この前開発したばかりの特殊な忍術を使った。

チャクラを練って、印を結んで、発動して。

後片付けを終えて踵を返せば、足払いでもかけられたかのように後ろに倒れこむ。

倒れるまでの時間が、やたらと長い。

暗闇の中を落下しているようだ。

どこか頭の中でそう思いながら流れに身を任せていれば、突然一つの言葉の響き。

「ナルト」

途端、体がどさりと倒れて、体を起き上がらせればそこは自分の部屋。

空が少し白んでいる、夜明け直前頃。

自分自身のベッドの中に、ナルトはいた。

かちこちと時計の音だけが響く。

鳥の声すらしない。

そのまま、ナルトはしばらく目を瞬かせていた。

それから再びベッドに倒れこむ。

口から漏れたのは嘲笑の響き。

「蝶じゃねーんだからよ……」

自分にしては上等なものだと、他人事のように思考が流れる。

夢は現実と願望と幻の混ざり合った世界である、と誰かが言った。

ならばどれが現実で(ある意味どれも真実)、

どれが願望で(望んで生きているのだ、それが願望でないと言えるのか)、

どれが幻か(そしてどれもまた、儚く消え去るものだ)。

そしておそらくどれも違うのだろうとくつりと笑えば、ふと、最後に聞こえた声が頭にひっかかった。

聞いたことのない、だがしかし確かに何らかの思いを込めて自分の名前を呼んだ声。

三代目でも、おそらく亡き両親でもない、その声。

ではあれは、誰だ?

気になる。

ふわりとした、しかし美しく研ぎ澄まされたような、声音。

気になる。

誰だ。


どくりと己に流れる血を感じながら、その声を忘れぬよう、耳に焼き付けた。


蝶に焦がれた狐
(その夜、俺はある少女の声を聞いた)