3.現(うつつ)の歪み


殀は岩隠れとの国境にいた。

雨が少なく乾いた土地であるそこには、身を隠す森が少ない。

ゆえに、殀も森ではなく荒野の岩の陰にいた。

(対象は既に引っ込ませた。何かあるなら、ここ、だろうが……)

示されていた対象は、既に火影の印が入った手紙を読み、後方へと下がっていた。

それを感覚の端で確認し、殀は意識を再び戻す。

殀の今の姿は、対象の姿。

当然単純な変化にさえぬかりは無く、本人に影分身のようだと言わせたくらいだ。

(さあ、来るなら来い)

どうせ多少の先は見えているのだ、と殀は手にした武器を握りなおす。


月が辺りを照らす頃、変化は訪れた。

妙な音を聞いた気がして、殀は聴覚を尖らせる。

風の音、生き物の音、石の転がる音、自然の音に混じって、何か違和感のある。

そして、“感じた瞬間”に、すぐさま上に跳んで何本かクナイを放った。

(そういうことか)

見れば、岩から染み出してきたような水たまりから、忍が顔を出していた。

水遁の術で隠れて移動してきたのだろう。

一瞬でも反応が遅かったなら、殀が串刺しになっていた場所にいる。

それ程の接近だった。

(水、とは水遁のことだったのか。その後奔ったという衝撃が、おそらく貫かれた瞬間……)

殀は着地して、現れた忍の鳩尾に深く入れた。

汚らしいものが多少出ていたが、殀は無視して思考にふける。

(少し見解を誤ったな。対象は間違っていないようだが)

そして、忍の額宛てを見て、やはりかとため息をついた。

忍に額宛てに刻まれた印は雨隠れのもので、岩のものではない。

土の国との国境戦と言っても、ここは火の国ではない。

火の国と土の国の間にある国から木の葉に依頼が出されただけだ。

そして、この国は雨隠れがある国とも隣り合っている。

大方、横槍を入れに来ただけだな、と殀は結論付けた。

気絶した忍を縛り上げ、後方で待機していた指揮官に渡す。

「これが、私の暗殺を狙っていたものか?」

「雨の横槍だ。どうとでも処分すればいい。これで俺の任務は終わりだ。里に帰らせてもらう」

言いたいことだけいうと、殀はすぐに姿を消した。

「何ですか、あいつ」

指揮官の傍に控えていた忍が、気配が消えたのを確認してぼやいた。

「私も良くは知らん。何年も前からいて、すさまじく強いらしいことだけは確かだ」

遠まわしな表現に、忍は若干顔をしかめた。

「随分曖昧ですね」

「……木の葉の死神といえば、お前も聞いたことがあるだろう」

「彼がですか!……なるほど」

指揮官の言葉に忍も頷く。

「冷酷非情、最強無敵、無関心主義、任務達成率百パーセントと噂されてる、彼ですか」

何回も聞いた噂を思い出して、それでは仕方が無いと続けた。

殀は、暗部だけでなく、上忍、時には中忍にまで名を知られている。

木の葉に仇名す者を全て刈り取る、死神として。

「知らぬ死神に闇無しって言われてますからね」

ことわざをもじった、殀の噂のひとつだ。

「“死神を、知ってはいけない、知ろうとしてはいけない。

関わった瞬間に、闇に落とされ命を断たれる”。

そんな噂が立つほどだからな。お前も関わってはいけない」

「分かってます」

続きを引き取った指揮官の命に頷いて、指揮官と忍は、捕らえた忍を引きずり、本陣へと戻った。


「ただいま戻りました、火影様」

「殀か。早いな」

何の前触れもなく現れた殀に、火影はあくまで静かに返す。

「成果は」

「そうと思われる事がありましたが、指揮官は存命です。下手人は捕らえて引き渡してきました」

言外に、言いつけられた任務は完了した、という意が込められていた。

「そうか、分かった。下がっていい。また何かあったら頼むぞ」

「御意に」

現れたと時と同じように、殀は何の前触れもなく、すっと消えた。

おそらく、あの子の所に帰ったのだろう。

火影は少し椅子に寄りかかり、椅子は僅かにぎしと鳴った。

予定されていた道筋を変えれば、必ずどこかに影響が出る。

今回、それによって影響されたのは、指揮官を狙おうとした下手人だ。

暗殺が成功していれば、彼は捕まることなど無かっただろう。

しかし、下手人に回す配慮などないのだ。

予定通り暗殺が成功していたのならば、木の葉は多大な被害を被っていただろう。

それは見逃すことのできない、防ぐべきもの。

木の葉を守るために他のものを切り捨てる強さを持たねばならない。

それが、里長火影に要求されるものだ。

そして、それは火影の手足となる忍たちにも要求されるもので。

「難儀なものじゃのお……」

キセルを一吹きした。

少年の方はとうに承知済みで、ことに当たっている。

しかし、少女の方はどうだろうか。

彼女は、里を守るとともに、他里に被害をもたらしていることになる。

それを、優しい彼女はどう思っているのだろう。

「ワシが代われれば、よいのだがな」

それができない己が口惜しい。

軽く顔を顰めた火影は、窓から覗く大きな月に目をやった。


この月の下で眠る彼女が、今度は幸せな夢を見ることを祈って。