「忍の、学び舎を作るだと?」

長い付き合いとなる親友兼ライバルの言葉を、竜王丸は繰り返した。

大川は大きく頷く。

「まだ細かいことは決めてないがな。

どこか人目につきにくい、山奥に作ろうと思っている」

そう言って大川は、湯のみの茶をすすった。

少し間が空いてから、竜王丸は再び尋ねる。

「何で、また」

大川は、ゆっくりと、湯飲みを持つ自分の手に視線を落とした。

「儂らもそれなりに老いた。そろそろ、前線からは引退すべきだろう」

その視線の先にあるのは、いくらか皺の増えた手。

その数は、残る傷跡よりも多かった。

竜王丸もまた、視線を自分の手に移す。

大川と同じくらい、皺の増えた手。

「それは、分かる。儂とてそろそろそれを考えていたところだ。

だが、それでどうして学び舎を作るという話になった?」

不可能では、ない。

大川も竜王丸も、若い頃から凄腕の忍として活躍し、生活費以上の金を稼いでいる。

規模にもよるが、おそらく資金は足りているだろう。

あちらこちらで活動していたので、人脈も非常に広い。

竜王丸が分からないのは、その決意に至った過程だった。

大川は、子供好きだ。

それは、竜王丸も知っている。

だが同時に、忍というものが何なのかを、よくよく知っているはずなのだ。

人生の半分以上を、忍としての生き方に費やした彼は。

「優秀な忍を育てたとする。

するとより忍の戦いは熾烈なものとなり、争いが増えるだろう。

かと言って使えない忍を育てたところで、情報の錯綜から被害が増えるだけだ。それに」

竜王丸は一度言葉を切る。

大川に視線を向けたが、特に反応はなかった。

彼はただ、自らの手を見つめているだけだ。

考えが読めない。

少々逡巡してから、それでも竜王丸は、言葉を続けた。

「共に忍を目指して修行した子供たちを、殺し合わせる気か、お前は」

どれくらい、その学園から子供たちが巣立っていくのかは、分からない。

だが、彼らが全員同じ場所に就職することなど、ありえない。

むしろ、全員が散り散りになる可能性の方が高い。

友好を結んでいるならともかく、敵対していたのならば。

それを考えない大川ではないことを、竜王丸はよく知っている。

非難を込めてそう聞けば、大川は顔をあげた。

だがその視線は竜王丸ではなく、ぼんやりと前方の草原を見つめていた。

そこは、やや小高い丘の上にある、小さな茶屋であった。

二人のほかに、客はいない。

「……のう、竜王丸」

大分間が空いてから、大川はぽつりと呟いた。

「儂は、忍として色んなものを見てきた」

いまいち話の先が読めず、竜王丸は口を挟まずに、続きを待った。

「戦も、飢饉も、平和も、人も。

得たものは多かったが、おそらく失ったものの方が多いだろう。

それほど、儂は長く忍として在って来た。

一人の忍として、この世で何が出来るのかを、探していた。

だが、何もなかった。

儂は戦を無くすことも、飢饉を救うことも、

平和を保つことも、人を生かすことも出来はしなかった。儂は、無力だ」

淡々と、無表情で。

その顔を視界に入れつつ、竜王丸は、大きくため息をついた。

「そんなこと、もうずっと前から分かっておっただろう」

竜王丸とて、今のこの世を儚んだことがなかったわけではない。

ただただ失われていく命を、悲しんだことがなかったわけではない。

だが、どうにもならないのだ。

この荒んだ世は長く、深い。

「人一人に出来ることなど、どうせたかが知れておるのだから」

大川も、その言葉に頷く。

だが。

「一人でなければ、どうだ?」

「は?」

竜王丸は、思わず聞き返した。

大川は相変わらず前を向いたまま、続ける。

「最初は少ないかもしれん。

だが学び舎を続けていれば、その数は確実に増えていく。

もしかしたら、仲間同士で殺しあうかもしれん。

だが、その子たちが、“そうならないように”努力してくれるのならば、

友好の輪を広げてくれるならば……

いつか、人と人が争わずに済む時代が来るやもしれぬ」

願うような、祈るような、言葉。

その言葉を、竜王丸は鼻で笑った。

「夢物語だ」

茶を一口含んでから、竜王丸はまた口を開いた。

「いくら学び舎で仲良くなったとしても、外に出て敵対すれば、それは泡沫の夢だ。

生きるためには、非情にならなければならない。

お前の言うようなことは起こるまいよ」

はき捨てた竜王丸に、大川は遠い目をして、首を振った。

「起きないと断言することは、それこそできまいよ。

人の絆と……若者の可能性は、時に年寄りの想像を遥かに越える」

それは、大川が長年忍をやってきて、つい最近たどり着いた境地だった。

年を経るごとに、若いときには感じなかった“何か”を感じるようになっていた。

愚かしい程にまっすぐで、光り輝くもの。

年を経た者にとって、それのなんと眩しいことか。

自分には、もう、若者らが持っている“何か”はない。

だが、己が磨いてきた技術を、未来ある若者に受け継がせていくのならば。

そして彼らが、より強い絆を育んでいくのならば。

「いつの日か、きっと時代が変わる時が来よう。

……残りの命を懸けるに値する可能性だとは思わんか?」

目を細めて笑った大川に、竜王丸もやがて同じように笑い返した。

「いいだろう、見届けてやろうではないか。

お前が果たして、本当に時代を変えられるのかどうか」

「おお、見届けるがいいさ、儂の教え子たちが時代を変えていく様を」

大川はにやりと笑う。

その顔には、必ずやり遂げてみせるという意志が溢れていた。

コトン、と湯のみを椅子に起き、大川は立ち上がる。

「さて、儂はもう行く。やることが山積みなのでな」

「おお。お前が学び舎を完成させた時には、文を寄越せよ。

いの一番に見に行ってやろう。せいぜい立派な学び舎を作るが良いさ」

「お前が腰を抜かす程のものを、作ってみせるぞ」

大川はそういうと、店を出て丘を駆け下りだした。

竜王丸はそれをのんびり見送る。

大川が言ったことは、限りなく勝率の低い賭けだ。

世は荒みきっていて、そう簡単に変わるとは思えない。

だがもし。

もし、本当に、様々なものが作用して、時代が変わることがあるならば。

「……見届けてやるさ、随一の忍と言われたお前の、最後の夢をな」

よっこらせ、と竜王丸は立ち上がった。

大川ほど積極的に動くつもりは無いが、それでも手伝えることはあるだろう。

自分もいつまでもここでのんびりしている訳にも行かない。

勘定、と茶屋の奥に呼びかけようとして、竜王丸は気付いた。

隣の席には、湯飲みと、団子が刺さっていた串が数本皿に乗ったままあるのみ。

代金はない。

「……平次ーっ!!!!」


だが当然、大川の姿は影も形も無くなった後だった。


夢にかける
(その時確かに、時代は変わり始めた)