その日は、学園の辺り一帯大雨だった。 上級生ならば、雨の中でも自由に動けるように鍛錬することもあるが、 さすがに下級生はそうそうそんなことはしない。 まだ通常の気候の下でもそれ程動けるわけでないし、体力や抵抗力も、上級生ほどはない。 なので、必然的に下級生のその日の屋外授業は全てキャンセルされ、 その分が、教室での授業に宛がわれた。 一年のとある教室では、この機会に少しでも授業を進めようと決心した教師もいたが、 それが叶ったのかどうかはともかくとして。 雨ということは、普段屋外で遊んでいる一年生達は、遊ぶ場所がないということだ。 校舎内の広い場所は、上級生が鍛錬に使っているし、 それぞれの教室や長屋で出来ることなど限られている。 つまりは。 下級生は、暇なのだ。 それが幸か不幸か、委員会が無い時ならば、なおさら。 その暇な下級生の一人である、一年は組の団蔵は、長屋の部屋の戸を開け、 雨が降りしきる外を眺めていた。 同室の虎若は、生物小屋が雨漏りしてるとか何とかで、用具委員と共に出動している。 あまりに暇だったので、団蔵は珍しく宿題に手をつけた。 しかしそれも終わってしまって、いよいよ本格的に暇になってしまったのだ。 何もすることがなくなって、ただ、外を眺めていた。 「暇だ……」 何となくもやっとして、団蔵は部屋の中で転がる。 雨で湿気が増して、部屋の片隅に放置してある洗濯物の異臭が強くなった気がした。 しかしそれも、晴れてなくては洗濯はできないわけで。 「暇だ……」 再び団蔵は転がる。 転がりすぎて一度壁に頭をぶつけたが、また転がった。 部屋に寝転がりながら、外を、外の雨を眺める。 雨は全く止む気配は無い。 雨のせいで、地面は酷くぬかるんで泥化していた。 空気は少し冷えている。 何となしに、団蔵は部屋から出て、廊下から屋根の外に手を伸ばした。 当然、手には雨が当たる。 「冷てっ」 団蔵は思わず一度手を引っ込めた。 だが、また少ししてから、手を伸ばす。 今度は、長く手を雨に当てていた。 手が冷える。 無駄に余っていた熱が、少し引いた気がした。 それと同時に、もやもやしていた何かも、少し流れ落ちて行った気がした。 何でだろう、と団蔵は思う。 (雨は、好きじゃないんだけどなあ) 雨が降って土がぬかるむと、自分も、馬も歩きにくい。 泥に足をとられる。 雨に体温を奪われる。 荷が濡れる。 そして今現在行動の制限を受けている。 それに、一人で雨が降っているのを見ると、何やらもやもやしたものを感じるのだ。 いいことなど全く無い。 農作物には必要な恵みの雨なのだろうが、それも馬借である団蔵にはあまり関係は無い。 だから、団蔵は今まで雨にそんなにいい印象など抱いていなかった。 だが、今確かに、先ほどよりちょっとすっきりした思いを抱えていた。 雨を見ていると感じるもやもやしたものが、雨に当たったら少し晴れた。 (もっと雨に当たったら分かるかな) 思い立ったら行動の団蔵は、廊下から顔を出していた。 今までその手に当たっていたように、団蔵に勢いよく雨が当たった。 頭から、頬やら髪やらを伝って、雨が零れ落ちる。 一気に体温が下がった気がした。 それはとても冷たくはあるのだが。 (あ、なんだか理由が分かった気がする) 頭が冷えたからだろうか。 言葉には上手くできないものの、 団蔵は、先ほどから感じていた疑問の答えが判った気がした。 理屈がどうこうというより、もっと感覚的なもの。 断続的に流れていく雨が団蔵を伝う。 空の一部が降って来る。 雨音が止まない。 でもそれでいいやと思えた。 それがいいと思えた。 団蔵がそう思って、しばらく雨に当たっていると。 「ああーっ何やってんの団蔵!」 声が響いた。 驚いて、団蔵も思わずそちらに視線をやる。 見れば、部屋の戸を開け、顔を出している伊助がいた。 伊助は一度部屋に引っ込んだかと思うと、またすぐに出てきた。 その手には手ぬぐいを持っている。 それからばたばたと団蔵の方に駆けて来て、団蔵を廊下の屋根の下に引き戻した。 「風邪引くでしょ!」 と、団蔵の頭をわしゃわしゃと拭い始めた。 突然のことに、団蔵はしばらくされるがままになっていたが。 やがて、口を開いた。 「伊助ー」 「何」 伊助が答えながら、乱暴気味に拭い続ける。 団蔵は口元に笑みを浮かべて、続けた。 「ぼくって、馬鹿だな」 へへ、と笑いながら言う。 伊助は少し訝しげにしたが、すぐに動きを再開した。 今度は乱暴気味を通り越してはっきりと乱暴な動きになった。 「あでででで伊助!?」 思わず痛みに団蔵が叫ぶ。 伊助はがしがしと擦るように拭いながら。 「ああ、馬鹿だね!自分から雨に当たりに行く奴があるか!この馬鹿旦那!」 「や、だってさ」 「問答無用!」 団蔵が続けようとしたのを、伊助は遮った。 それから手を止めて、持ち上げる。 「とっとと着替えて来い!風邪引くよ!」 髪からは大分水気が取られている。 それを感じながら、団蔵は伊助の言葉を認識して。 「……着替え、あったかな」 ぽつりと呟いた。 「だあーもう!!」 団蔵は伊助に引きずられるように自室に戻った。 伊助は部屋から着れるものを探すつもりなのだろう。 団蔵の冷え切った手には、伊助の手は温かかった。 その温かさに、団蔵は顔を緩ませながら、長屋の中側から雨を眺めていた。 「……あー」 ぽつりと呟く。 「もう、分かったから、いいか」 翌日、団蔵は風邪を引いて伊助とそれから乱太郎に怒られた。 雨の日の葛藤 (もう確かめなくたって、どうしてあんなにもやもやしていたのかは分かるから)