ただ望むものは、ささやかな

「君は、何のために生きているんです?」

ふと、イオンがそう聞いてきた。

鍛錬をしていた俺は手を止めて、目を見開いた。

「え?」

「だから、君は何を理由にして生きているんですか?」

若干の苛立ちを含めた声を聞いて、やはり自分の耳は間違っていなかったと確認。

それで。

“何のために生きているのか?”

まさか、イオンから、そんな言葉が出るなんて思ってもいなかった。

いや、イオンだからこそ、かもしれないけど。

にしても、まさか。

“理由が無ければ生きられないのか?”

師匠の言葉がよみがえる。

不本意にも、思考が停止して固まってしまった。

少しして、イオンが怪訝そうに覗き込んできたことで、ようやく思考を取り戻す。

そして、回ってきた頭で質問の答えを考える。

“何のために生きているのか?”

“何のために生まれてきたのか?”

それは、かつてもした問いだ。

随分と迷ったけれど、考えて考えて。

死にたくない、でも自分はもうすぐ死んでしまうことを知った時。

生きたいと思った。

そして、俺自身がそのことを知っている。

それだけで、十分だった。

その時は。

では、今は?

とりあえず、生きたいと思う。

それはなぜか?

守りたいものがあるからか?

でもそれは、最後にこの命を使うためだ。

それまでは死ねないという意志だ。

明らかに、あの時とは中身が違う。

死ねない、というのは生きる理由かもしれないが、生きるための糧じゃない。

じゃあ、俺は……どうして、こんなにも生きたいと思えるんだろう?

……。

「アッシュ」

「!!」

イオンに今の名前を呼ばれた瞬間、肩がびくりとはねた。

アッシュ、アッシュ、アッシュ……ルーク。

ルーク、ルーク、ルーク。

懐かしい光景が、鮮明にフラッシュバックした。

「……約束、したんだ」

ようやく質問に答えた俺に、どうやら心配していたらしいイオンが口を閉じた。

「必ず帰るって。生きて、帰るって。だから……帰りたい。死にたくない。約束を破りたくない」


答えなんて、最初から一つだったのに。

「生きたい」

ずっとずっと、そこにあったのに。

「あなたは、確か行くところがないと言っていたでしょう?どこに帰りたいんです?」

「分からない。帰りたかったところは、なくなってしまったから……」

跡形も無く。

消えてしまった。

どこかに帰りたいのに、帰る場所はない。

約束をした相手は、もう世界のどこにもいない。

ただ、“彼ら”がいるだけだ。

帰る場所ではないけれど、それでも大切な“彼ら”が。

帰りたい。

帰りたい。

帰りたい。

生きて、帰りたい。

望みは、たったそれだけだった。

でも、もうその望みが叶わないことを、誰よりも俺が知っている。

その望みを断ち切ってしまったのは、誰でもない、俺自身なのだから。

ふと、近まった気配を感じて、顔を上げる。

やはりそこには、イオンがいた。

「あなたは、約束を、覚えていますね?」

頷く。

「相手が誰かは知りませんが……その相手は、約束を覚えていてくれたと思っていますか?」

少し迷って、頷く。

ちょっと、傲慢かもしれない。

でも、彼らが、帰りを待っていてくれたと。

信じたい。

すると、イオンは少しだけ、笑って。

「君が覚えているのなら、そう信じているのなら、その約束はそこにある」

俺よりも小さいイオンが、手を伸ばして、俺の頭に触れた。

「ずっとずっとそこにある」

歌うように、慰めるように。

「その約束は、永遠になくならない。それは、ずっと、君の生きたい理由になる」

胸から何かがこみ上げてくる。

熱い。

温かい。

もどかしい。

苦しい。

哀しい?

これは、何だろう?

分からない。

でも。

「イオン……もう少し、このままで……」

少し顔を俯かせる。

イオンは、まだ俺の頭に触れていてくれた。

心の中で、ありがとうを告げる。

それから。

ごめんなさい。

ごめんなさい。

約束、守れなかった。

帰ることが出来なかった。

そのことを許して欲しいなんて、いえるはずが無い。

だけど、せめて。

せめてせめて。


この約束を、俺の生きたい理由にすることを許してください。


ただ望むものは、ささやかな
(ここにいる、此処にいない“彼ら”に祈る)