それは念威の訓練を行っていた時だった。

兄に利用されるつもりはないけれど、力が無ければ、いざという時身を守れない。

少なくとも、死ぬつもりもなかったから、必然的に行う訓練。

ツェルニの中で比較的高い場所から、念威端子を飛ばし、あちこちの情景を見る。

送られてきたそれらの情報を、瞬時に頭の中で操作する。

すると不意に、イメージの端に何か引っかかる感覚を覚えた。

なんだろう、とそのイメージを中心に持ってきて展開する。

そこには、一人の少年が映っていた。


「こんなところに何の用ですか、お嬢さん」

『……そういう、あなたこそ』

彼の近くに飛ばした端子。

それでも十メートルは離れ、後ろから近寄らせたのだけど。

彼は振り向くことなく、それに気づいた。

どうせ気づかれてしまったのなら、と端子をさらに近くに寄せる。

「僕は、これから住むことになる都市を見ておきたかっただけです」

『こんなところで見るあなたの気が分かりませんね』

そこは、ツェルニで一番高い、尖塔の先頭、限りなく小さな足場。

彼は、そこに片足でしかしバランスを全く崩すことなく立っていた。

「都市を見渡すなら一番高いところでしょう?」

にしても、わざわざこんなところから見なくたって。

武芸者なのだろう、剄を使って立っているのだろうが、

よほどのコントロールが無い限り、こんなところに立つことなんてできない。

それほど自分の力に自信があるというのか。

しかし、それを自己過信と見ることは出来ない。

彼は実際に“ここ”に立っているのだから。

『これから、ということは新入生ですか?』

「そうです。もしかしたら直接お会いすることもあるかもしれませんね。

その時はよろしくお願いします」

彼は、端子に向かって軽く礼を取った。

何となく、そう、本当に何となくの疑問がわきあがる。

『……名前は?』

自分から他人に名前を尋ねるなどいつぶりだろう、と頭の片隅で思う。

もう随分と、ありとあらゆるものに興味が無くて、ただ日常を過ごしていたというのに。

「秘密にしておきます。その方が、初めてお会いした時の楽しみが増えるでしょう」

くつりと、彼は小さく笑った。

端子越しのイメージが、脳に焼き付けられる。

「それでは、僕はそろそろ失礼します」

『待って下さい!』

咄嗟にそう叫んでしまった。

どうして自分は叫んでしまったのだろう?

思わずの行動を、首をかしげた少年を頭の片隅に入れつつ分析した。

そうだ、衝動に駆られたのだ。

少年を引き止めたいという衝動に。

何でだろう。

なぜこんなにも自分は、衝動に駆られてしまったのだろうか?

答えは、出ない。

「どうしました?」

首をかしげたままの少年は、ついに声に出して尋ねてきた。

ああ、でも引き止めておいて何も言わないなんてことも、私のプライドが許さない。

『……どうして、私が女性だと分かりました?』

聞きたいのはそんなことではない。

けれど、本当は何が聞きたいのかは私自身よくわからない。

これほどまでに心をかき乱されたのは久しぶりで。

とりあえず、最初にふと浮かんだ疑問を口にしてみた。

『端子だけでは、念威操者の性別なんて分からないでしょう?』

それは、少年が気づいた瞬間に、頭を軽くよぎったことだ。

「ああ、そのことですか」

ふわ、と茶の髪が舞う。

「それは、僕が僕であるからです」

何かの糸が切れた気がした。

何の糸かなんて、分からない。

ただ、ピンと張り詰めていた糸が、確かに一つ切れたのだ。

「それでは」

そして少年は掻き消えた。

慌ててほかの場所に散らせた端子を確認する。

だが、彼の姿はどこにもない。

都市中、いくつにも散っている私の端子は、彼を認識できなかった。

どうして、なんてもうこの数分間でいくつ重ねたのか分からない問いで。

それでも、私は脳裏には彼の笑顔が焼きついていた。


強烈な、何かを伴って。


その存在、此処に在り
(どうして彼の顔が焼きついて離れないのか)