目が覚めた彼に、隊長に言われたことを伝える。 了承したといって、彼は帰ろうとした。 「待って下さい」 あの、時とは違う。 今なら、手を伸ばせる位置に私はいる。 このときを逃してはいけないと、何となくの本能で分かっていた。 「……もう少し、話がしたいです」 一瞬きょとんとした彼は、それでも微笑んで。 「いいですよ」 了承してくれた。 帰る方角が途中まで一緒だということで、彼は私を送ってくれることになった。 それは別にいい、といったのだけれど、 話したいことがあるのでしょう、と言われては反抗できない。 そうして、並んで町を歩いていた。 「それで、話とは?」 「……あの昏倒、まさか演技ですか?」 とりあえず、あまり当たり障りのないところから始めよう。 これが当たり障りのないことなのかは、いまいち分からなかったけれど。 「ええ。剄を上手く使えばできますよ。少々鍛錬が要りますけどね」 「普通は昏倒を装うための鍛錬なんてしませんよ」 「それもそうですね」 ふ、と彼が笑う。 極力、そちらの方を見ないようにして会話を続けた。 (目を向けては、もう離せなくなる気がしたからだ) それから少し、他愛もない会話をする。 どこの出身だとか、(彼は最も武芸が盛んな町、グレンダンから来たらしい)何が好きかとか。 「分かれ道ですね。僕はこっちですが、先輩はどちらですか?」 彼が指した方向を見て、僅かに顔を顰める。 そして、そちらとは違う方向を指差した。 「送っていきましょうか?」 そこまで私は弱くない、とは言えない気がした。 それは、彼と自分を比べてしまってのことだろうか、それとも無意識下の何かだろうか。 分からないが、別れる前にもう一つ聞きたい事がある。 というよりそちらが本題だ。 「送りはいいです。その代わり、最後に一つ教えて下さい」 「何ですか?」 今度はしっかりと、彼と目線を合わせて。 「あなたが力を隠す理由は何ですか?」 ざあ、と風が吹く。 長く伸ばした自分の銀髪がなびく。 短く整えられた彼の茶色の紙もなびく。 ぞ、と場を支配した何かを全身で感じた。 だが悪いもの、殺気や怨恨のようなものではない。 敢えて言うなら、暗闇の海のような。 静かに、何も映さず、波すら立たせずに流れているような存在。 彼の青い目に、そんな海が映った気がした。 「生きたいからです」 発されたのは、ある意味では、当たり前というような。 しかし、それに込められた意味は。 「ありすぎる力はどうあっても周りに注目されます。 それは尊敬であったり、恐怖であったりします。 そしていずれ人間は、“自分と違う存在を破棄”しにかかります」 それは自然の淘汰の摂理。 集団であるものは、異物というものを許さないのだ。 故郷でも感じた疎外感を思い出す。 天才だからと、誰もが私を遠ざけ、腫れ物のように扱う日々。 唯一手を伸ばしてくれた両親さえ、その手には薄い膜が張られているようだった。 ぎゅ、と手を握り締める。 「だから僕は力を隠した。周りが求める以上の力は決して見せない。 周りが求める程度の力で常に戦う」 それが、あの時の隊長との試合なのだろうか。 あそこでは、誰も彼の本来の実力を知らない。 だから。 「生きたいから、生き延びたいから、力を隠す。これは答えになりましたか?」 その言葉で、少し飛びかけていた意識を引き戻す。 こく、と小さく頷いた。 これで、一応の目的は達成された。 彼ともう一度会えた。 (第十七小隊に来るのなら、これからも何度だって会える。それが仮面の彼だとしても) 彼が力を隠す理由、演技をする理由も分かった。 けれど、すると今度は違うことが知りたくなる。 彼は破棄、されそうになったことがあるのだろうか。 どうしてそんなに強いのだろうか。 どうしてここ、ツェルニに来たのだろうか。 人を信じられないということはどういう――? そこで端と思考を止めた。 もう一度彼を直視した。 「どうして、私にそれを話してくれたのですか? あなたは、簡単に人を信じないのではなかったのですか?」 さっき、確かにそういったはずだ。 すると彼は、少しだけ、おかしそうに笑って。 「まあ、そうでしょうね。ですが僕は武芸者という生き物なので」 分からない、と顔に乗せると、彼は今度は少し笑いをおさめて。 「自分の勘を信じてるんです。僕の勘は告げました。あなたは信用できると」 ちょっと嬉しくなりかけて、すぐに言葉の意味に気づいた。 信用はしてくれる、しかし信頼はしてくれない、ということだ。 つまり、自分に伝えたことは、彼にとってはそこまで重要ではないことで。 会ったばかりなのだから仕方がないのだけれど、少し落胆した。 彼が自分を信頼してくれなかったことが、なぜかとても悔しくて。 「……暗くなってきましたね。それでは僕は帰ります。先輩もお気をつけて」 軽く手を振って彼は歩いていった。 彼が言ったことが、どちらの意味を持っているのかは分からない。 空のことか、私のことか。 はたまた別のことだろうか? とくん、とくん、と鼓動が早い。 それはまだ当分収まりそうもなく。 誰もいなくなった道、登り始めた月の下、私はしばらくそこに佇んでいた。 命、どこに続く (あなたは何処を、何を目指して歩いているのだろう)