びゅ、と鋼糸が空を切る音がする。 少しそれを繰り返したあと、柄を下げた。 時刻は朝方、場所は郊外。 機関部掃除のあと、家に戻るのが面倒だったので、 かつ寝る気もなんだか失せたから、軽い自己鍛錬をすることにした。 自己鍛錬は昔から何度もやっていて、とうに慣れたものだ。 ただ、感覚と動きを鈍らせないようにすればいい。 一般の人間から見ればそれも難しいということも、頭では理解している。 いまいち納得はできないのだが。 一通り鍛錬を負え、座り込む。 日が昇り白み始めた空の下、空気は澄んでいる。 「はあ」 一つ息をつく。 復元したままの青石錬金鋼は、張り巡らされたままだ。 広範囲に及ぶ鋼糸は、室内では練習できない。 すれば、確実に建物は倒壊する。 そして、もし近くに人でもいようものなら、簡単に切り裂かれる。 故に、鍛錬をするなら、人がまったくいない場所の、 人がまったくいない時間に限られる。 つまりは、もうそこまで外縁部が見えているくらいの場所だ。 基本、主要な建物などは中心部にあるので、この辺りにはあまり人は来ない。 それでも、気を抜くわけには行かない。 もし万が一、誰かを傷つけようというものなら、 それこそグレンダンの二の舞のようなことになるからだ。 ましてや天剣授受者のような、強者のいないここでは。 自分も動きを止めた今、ここには音がない。 都市の足が動いているような機械音などではなく、生命の音がない。 ここにいるのは自分だけ。 世界に自分ひとり。 そんな気分になる。 けど、そんな感じは嫌いじゃない。 むしろ好むものだ。 汚染獣と戦っているときも、似たようなものだ。 目の前に汚染獣という、得体の知れない巨大な生き物はいるが、 それは自分の世界にいる生き物ではない。 むしろ、自分の世界に入ってきた異物で、排除しなければいけないものだ。 だから、体が本能的に動いてくれる。 汚染獣と戦っている間は、誰彼を守ることとか、あまり考えていない。 戦い終わってから、ようやく都市のこととか、そういうことを思い出し始める。 戦っている間は、何もない荒野に一人立っているようなものだ。 そして、とてもしぶとい害虫を、何回も何回も、無表情で、無感情で踏み潰している。 そんな感覚だ。 もっとも、そのくらいの精神構造でないと、 人間よりはるかに巨大な汚染獣と戦うようなことはできないのだ。 そして、そんな世界に立つことが、時々ひどくうれしく感じることがある。 自分ひとり。 視界を遮るものはない。 煩わしいものも何もない。 自分の進みたい場所へいける。 それがどれほど快感を覚えることか、理解できる人間はいるのだろうか? 天剣授受者たちなら、理解できるかもしれない。 彼らのような、人間を超越した武芸者をさらに超越しているような人間たちは、 総じて他人に興味がない。 自分の強さにしか興味がない。 そういう人達は、 普段自分が煩わされている何かを疎ましく思っているのではないだろうか。 特に、サヴァリスさん辺りとか。 まあ、だからといって仲良くしたいとかそういうわけではないのだが。 向こうもそれを望んでいないのだろうし。 思考がそれ始めたのを、ゆるゆると戻す。 グレンダンでしてしまったことは、自分がちょっとバカだった。 それだけだ。 考えを戻そう。 自分は全てを煩わしく思っているのではない。 ほとんどの他人にさして興味がないのは一緒だが、 たまに、ごくごくたまに興味を持つ人間もいる。 そういう人達との接触は、なかなかに楽しい。 学べることもある。 だから、まあ助けられるのなら助けてやってもいいかと思える。 だが同時に、煩わしいものがそれ以上に多く存在するのだ。 畏怖、尊敬、恐怖、同情。 飽き飽きだ。 そんなものとの戦いは、グレンダンだけで十分だったのに。 こんな場所に来てまでそんなものに関わるつもりはない。 目障りなだけだ。 だから、時々こういう空間が欲しい。 自分だけの、すっきりとした世界。 もしかしたら、それを得るために、自分は戦っているのだろうか。 ふと、思う。 今まで、ここに来てから戦う理由が分からなくなっていた。 グレンダンではお金。 ではここでは? それを確かめるために、一度は武芸からしばらく離れてみようと思っていたのだが。 都市の切迫した状況から、それはできなくなってしまった。 そんな煩わしいものたちから、解放される時間を、 無意識のうちに求めていたのだろうか? だから、自分は汚染獣と戦っているのだろうか? 世界が煩わしい。 解放された時間が欲しい。 汚染獣を倒した瞬間、そこは確かに自分だけの、世界だ。 ああ、解決した。 ちゃんと理由があるじゃないか。 他人任せでもなく、適当でもなく、自分が求めたものがあるじゃないか。 考えてみれば簡単なことだった。 もっと早く考えていたらよかったかもしれない。 しかし本当に、自分は勝手だと思う。 エースだなんだと周りはもてはやすが、自分は限りなく自分のために戦っている、 ただの自己中心的な生き物だ。 一通り考察が終了し、体を休められたところで立ち上がった。 そろそろ学校に向かうか。 いつもの穏やかな顔をはりつけ、錬金鋼を元に戻す。 さあ、今日も煩わしい世界が僕を待っている。 ひと時の考察 (たまにはこんな時間も、悪くない)