ツェルニを汚染獣が襲った。 それを知ったとき、僕はツェルニの機関部で通路掃除をしていた。 なんとも緊張感のない場所だと、僕も思う。 そして、なんと平和な場所だったのだと思った。 必死な顔をした僕を見て、隊長は何も察することができなかった。 それは、今までこんな緊迫した状態に身を置いていなかったからで。 焦りとか、呆れとかもあったけれど、それよりも。 なぜか悲しい気がした。 飛び出すように出て行った隊長のあとを追うように、とりあえず外に出る。 大騒ぎだった。 まあ、今までの状況を考えれば当然だろう。 さて、どうするか。 とりあえずは着替えるべきか。 作業着は、汚れても構わないのはいいのだが、いかんせん動きにくい。 何かあった時に、これでは出遅れる。 まずは家に戻ろう。 人の波を掻き分けるのがわずらわしくて、屋根を飛び移って僕は移動した。 家に帰ると、手紙が来ていた。 差出人はリーリン。 故郷においてきた幼馴染。 そういえば手紙を出していたな、と封を切ってみる。 どうせ書いてあることは予想が付く。 伊達に何年間も同じ孤児院で育ってきたわけではない。 予想通りの内容に、軽く口を歪める。 封に戻して机へ。 剣を忘れずに持って、屋根に登った。 避難している人々が見える。 はるか遠くに群がる汚染中の幼生が見える。 それらから都市を守るように、配置に付いた武芸者たちが見える。 結構な数だ。 汚染獣との実戦経験がない彼らからしたら、とても絶望的な多勢だろう。 だが、遠くから怯えや恐怖は伝わってこない。 感じるのは――。 「私に、手伝って欲しいと?」 「はい。先輩の端子で、汚染獣の居場所の伝達と、母体の捜索をしてほしいんです」 気配で見つけたフェリ先輩は、前線からも、シェルターからも離れた場所にいた。 理由なんて聞かなくても分かる。 先輩は、誰かに言われるままに力を使うことを酷く嫌っていた。 だから、戦いから離れたここにいる。 「どうして」 「僕の戦闘速度、汚染獣の侵攻速度…… これらにおいつけるだけのサポートが出来るのは先輩しか知りません」 私を選ぶのか、と続くと思ってわざとさえぎった。 分かりきったことを聞いている時間は無い。 だが予想に反して、先輩は違う内容を言い直した。 「違います。どうして貴方が戦うのか、です」 急がなければいけないのに、思わず思考が停止した。 少しして、僕のその様子を見て取ったのか、先輩が言葉を付け足す。 「あなたは必要以上の力を使うことをためらっていたのに」 私と同じだったのに、と小さく続けられる。 あれか、同族意識でも働いていたのか。 くだらない。 「僕にとっての最優先事項は生き残ること。 ツェルニが壊されると、僕らは汚染物質だらけの外界に放り出されます。 そうなっては生きてはいけない。だから戦う」 「そのためには周りから排除されることは厭わないと?」 「命を落としては何の意味もありません」 生きているからどうのこうの考えられるのだ。 まず命を繋ぐことに意味がある。 それからのことはそれから考えればいい。 「決意を翻してでも、生きたいという意思があるのですか?」 先輩にはないらしい。 決意というのが自分と同等なのだろうか。 決めたことを翻しては、自分を保てない? なるほど、確かにそれは死と同義で天秤にかけるものかもしれないが。 「ええ、生きたいです」 それでも僕は生きたい。 それは人間の生存本能であり、別に大した理由は必要ない。 本能で、人間、いやおそらく人間に限らず汚染獣たちも生きようとするのだ。 人間は時に理性でその本能を押さえ込んだりするが。 僕はそんなことはない。 生きたいと、心の底から思えるから。 だって。 「先輩も、一度どうして自分は生きたいとか、考えてみるといいですよ。 意外な発見があって面白かったりします。それに、僕は」 どうしようもなく、ふざけたこの世界だけれど。 「生きることは、そんなに悪くないことだと思っています」 くだらなく、時にはとても疲れる。 僕の意思なんておかまいなしに物事は進むし、予想外の事態も当たり前。 それでも、美しい景色を拝めたとき、嬉しいと思う。 心が弾むようなことがあったとき、楽しいと思う。 ほんの時々、精一杯生きる人々を見て、眩しいと思う。 この世界に僕が存在していられることが、幸せだと思えるから。 理性的に、僕の意思でも生きたいと思っている。 そのために。 「生きたいと思える僕の世界を守るために僕は戦います。だから先輩、力を貸してください」 真剣に見つめてみれば、少しの沈黙があった後、先輩は顔を背けるように頷いた。 「年下が私に説教しないでください。 ……まあ、それについて文句を言うためにも、力を貸してあげます」 「ありがとうございます。それじゃ、頼みますね」 よかった、承諾してくれた。 微笑んで、とん、と足場を蹴る。 「レストレーション」 「レストレーション02」 同時に復元。 僕は鋼糸を、先輩は端子を。 鋼糸を舞わせながら目標を定める。 端子を通して会長と会話。 武芸者たちを下がらせるように頼んで、それなりに視界の通る場所に立った。 カウントダウンが終わり次第、幼生の始末にかかる。 その間、先輩が母体を探してくれる。 久々の緊迫した時間に、薄く笑みを乗せた。 さあ、こい、汚染獣たち。 一匹残らず裂いてやる。 やがて、カウントダウンが始まった。 僕が生きるこの世界 (それを守るためなら、この手、いくら血にまみれようとも)