リーリンは一通り、レイフォンの交友関係を聞いた後、病室を辞した。

その足音が聞こえなくなる頃に、レイフォンが呟くように言う。

「どうぞ、フェリ」

その言葉に、漂っていた念威が揺らいだ。

少しして、病室にフェリがやってきた。

「やっぱり、気付いてたんですね」

「うん、僕は剄には敏感なんだ」

それは、フェリの念威端子が、病室の隅にあったことについてだ。

他のことにも敏感であればいいのに、と思いながら、フェリは病室の椅子に腰掛ける。

先ほどまでリーリンが座っていたそれには、もう温もりは残っていなかった。

「それで、念威端子まで飛ばして、フェリは何をしたかったんですか?」

こういわれると、フェリは本当に切実にそう思う。

察しろ、と心の中で叫んでから。

「言わないんですか?」

とりあえず、今一番フェリが気になっていたことについて、尋ねた。

いきなりの質問に、当然レイフォンは首をかしげる。

「何を?」

「彼女がグレンダンにやってきて、何事かを叫んでいる時……

あなたは何かを言いたそうな顔をしていました。先ほども、結局言わなかったじゃないですか」

「ああ……」

その言葉で分かったらしい。

思い当たったように、レイフォンが呟いた。

「あの時のことですね」

リーリンが、左腕を血で真っ赤にしたレイフォンに叱ったのだ。

我慢ばかりして、誰が幸せになるのかと。

その時、リーリンはレイフォンにしがみつくように顔を伏せていたし、

ニーナはレイフォンの背中側にいた。

レイフォンの横側にいたフェリだけが、その表情を見ていた。

その、なんとも言えないような複雑な表情に、フェリは引っかかりを覚えたのだ。

「何を言おうとしていたんですか?」

フェリが重ねて尋ねると、レイフォンは淡々と答えた。

「たくさんいるよ、と」

「?」

意味がよく分からず、フェリが首をかしげる。

そのフェリを見て、レイフォンが付け加えた。

「僕がこうして戦って、幸せになった人はたくさんいるよ、と言いたかったんです」

「誰です?」

やや不快になりながら、フェリは尋ねた。

レイフォンが非常に難しい戦いをしなければならなくなったのは、

殆ど自分のせいなのだけれども、それでも尋ねずにはいられなかった。

一体、あの無茶苦茶な戦いで、誰が幸せになるというのか。

「ツェルニの学生達、その家族達、サリンバン教導傭兵団のハイアと……ミュンファさん、でしたっけ」

端的にレイフォンは答えを述べた。

が、フェリにも何となくレイフォンが言いたいことが分かってきた。

「今回の武芸大会に勝てなければ、ツェルニはセルニウム鉱山を失っていました。

そうすれば、ツェルニは機能しなくなる。この都市にいる学生たちは、

みな逃げなければならなくなる。無事都市に帰れるのならばいいのですが、

もしかしたらその途中で汚染獣に狙われて命を落とすかもしれない。

ツェルニで資格を取ろうとしていた人たちは、また別の学生都市でやり直す羽目になる。

そうなれば、どうあっても、その家族たちに被害が及ぶ。

それらを回避できたのですから、いいことづくめじゃないですか」

それがどれだけの数になるかなど、到底数え切れるものではない。

「ハイアはやりたいことを為した。成功かどうかは置いておいて、自分の望みを果たした。

ミュンファさんは、自分の望みを自覚した。

今回のことで損をした人たちと言えば、セルニウム鉱山を奪われた、

マイアスの人たちぐらいですかね。まあそれが武芸大会の掟なのだから、仕方がないでしょう」

淡々と、無感情に言うレイフォンを、フェリは何となく直視できなくて視線を外す。

少しだけ、レイフォンとは長い付き合いになってきたフェリには分かっている。

それは、レイフォンの本当の本心ではない。

ただの。

ただのリーリンに対する反論だ。

論を論で打ち砕くためだけの言葉。

多くの命というものを、それだけのために扱っている。

レイフォンという存在は、そういう人間なのだ。

その結論と同時に、疑問も湧いてくる。

なぜ。

「なぜ、それを、彼女に言わなかったのですか?」

その論は、リーリンに対抗するためだけのものであったはずなのに。

「思い出したから」

レイフォンが答える。

これは本心だと思った。

しかし意味が分からない。

レイフォンが続ける。

「リーリンは、目の前にあるものしか、見えないんですよ」

だからこの論に意味は無い、とレイフォンが少し残念そうに言う。

それは、リーリンは、目の前のものさえ良ければ、

後はどうでもいいという考え方の持ち主ということだろうか。

だから、言っても無駄なのだと。

そういうことだろうか。

フェリはそう思ったが、口に出しては尋ねなかった。

尋ねないほうがいい気がした。

代わりに、目をそらしたおかげで、視界に入っていたレイフォンの左腕について尋ねる。

「では、あなたは、その損をした人間には入らないのですか?」

フェリの視線が自分の左腕に向いていることに気付いたレイフォンが、いつものように笑って答えた。

「僕はフェリを助け出せました。ツェルニを守り、僕の未来を守りました。

これは僕が望んだ結果の代償です。これは損とは言いませんよ」

レイフォンがまた微笑む。

フェリは、自分の体のどこかで、何かの音が鳴るのに気付いた。

同時に、また少しだけ、レイフォンについて分かった気がした。

彼は、いつも振舞っているような、ふわふわと、不安定な、形のない人間じゃない。

どこまでも我の強い人間なのだ。

生きたいと思っている。

自分の意志を貫き通したいと思っている。

そのためにどうすればいいのかを考えている。

考えて、常に最善と思われる手を取る。

そのためにどれだけ自分が罵られたとて構わない。

そのためにどれだけ自分を犠牲にしようと構わない。

それが、自らの意志だから。

だから彼は、自分が生きる都市のために戦う。

自分の意志を貫き通すために戦う。

そうして生きていくのだ。

「あなたは……馬鹿です」

どうしてそう、より過酷な道を選ぶのか。

「そうかもしれませんね」


あっさり返したレイフォンに、フェリは応えることができなかった。


過酷で残酷で自由な生き方
(全ては己であるために)