馬鹿な人だ。

それが、僕がニーナ・アントークという人を知ったとき抱いた、正直な感想だった。

彼女は、自分の決めたことにまっすぐだ。

それを為すために足りないものがあると知れば、必死でそれを補う。

誰かと意見がぶつかっても、自分の意見を押し通す。

どれだけ自分が傷つこうとも、それを厭わない。

馬鹿な人だと、思う。

もう少し賢く生きたのならば、傷つくことも無かっただろうに。

本当に、馬鹿な人だ。

だが、自分にそれを責める権利は無い。

主観だから確証があるわけじゃないけど、それについては多分自分も彼女とはそう違わないと思うから。

だからこそ、彼女のしていることは馬鹿なことなのだと分かる。

僕自身が、馬鹿な人間だと思っているから。

だが、一つ、決定的な差がある。

彼女は、光を、表を歩く人間だ。

僕は、影を、裏を歩く人間なのだ。

生きる場所が違う、ということではない。

言うなら、向いている方向が違うのだ。

彼女は陽に向かって走っている。

僕は暗闇に向かって走っている。

もちろん、暗闇と言っても、別に犯罪とかそういう方向に走っているわけじゃない。

彼女は、表立って自分の意志を貫き通そうとする。

僕は、自分の意志を、少しだけ影で覆い隠しているだけだ。

見え方が違うだけ。

だが、おそらく本質はそう変わらないだろう。

“自分の意志を貫き通したい”、というその一点においては。

馬鹿な人だと思う。

だが同時に、少し眩しいものでもあった。

彼女の生き方は、こんな考え方をする僕には到底出来ない生き方だ。

僕のような生き方も、また彼女は出来ないだろうけど、それはいい。

とにかく、彼女の生き方は眩しい。

輝いている。

彼女の、輝く剄のように。

彼女だって、色々な事象の裏にある、それぞれの暗い事情を知らないわけじゃない。

清いものばかり見てきたわけじゃない。

それでも彼女は輝きを失わずに生きている。

あちこちに暗闇が転がっている中で、彼女は自分を輝かせている。

それは、少し羨ましくもあった。

だから。

だから、できるなら彼女にはその輝きを失わないで欲しいと。

そう思った。

どれだけ醜いものを、汚いものを知っても、彼女はその輝きを失わないだろう。

自分の意志を貫き通すだろう。

だが、彼女は、まだ実力が意志に追いついていない。

自分の力の及ばなさを知ったとき、彼女はおそらく躊躇らうだろう。

本当にこれでよかったのかと。

自分は間違ってしまったのではないかと。

そんなことで、あの輝きを失って欲しくない。

あの輝きは僕にはないもの。

今まで見たことがないもの。

だから、彼女がこの先どのように生きていくのか、見てみたい。

こんなところで、立ち止まって欲しくない。

だから、僕は彼女に力を貸すことに決めた。

力が足りないのならば、足りる分までは僕が補おう。

力が欲しいのならば、僕が成長を助けよう。

彼女が生きて、輝き続けている限り。

この学園で、共に歩んでいる限りは。

僕という力を、彼女に与えよう。

さて、彼女は得た力をどのように使うだろうか。

見てみたい。

見ていよう。


まったく、本当に。

自分から大変な方向に向いているというのだから、僕も大概馬鹿な人間だ。

だが、それでいいとも思う。

これこそが、僕が貫き通したい、僕の意志なのだから。


馬鹿な子供達
(どうしようもなく馬鹿で、どうしようもなくまっすぐな)